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ラーメン・しじみ
昼休み──
「おい、せがれ!!」
まん丸の物体が廊下の先の方から大声で叫ぶ。
せがれというのは俺のあだ名だ。
実家が旅館で、そのせがれだから、「せがれ」。
旅館関係ねえし、その理屈だとみんなせがれになるだろうが。
大声で呼ぶ横幅の方が広いんじゃないかってやつが、「たむけん」
苗字が田村ってだけで「たむけん」になった可哀想な男だ。
たむけんの隣には猫背の背が高い男が立っている。
こいつはハットリ。
ハットリはそのまま苗字が服部なので「ハットリ」。
ただ何となくアクセント的には「服部」じゃなくて「ハットリ」なのだ。
詳しくは本人に聞いてほしい。
たむけんが口を開く。
「今日、しじみいかねえ?」
しじみというのは、めちゃめちゃ辛いラーメン屋のことだ。
4段階の辛さが選べて、一番辛いやつは、もう、なんか赤いを通り越して黒い。
赤さの先には黒があるということを俺はこの店で学んだ。
「いいけど、俺4しか食わないけどね」
俺は答える。
実はこの店の辛さ表記は少しバグっていて、4が4分の1で一番辛くなく、1が1分の1で一番辛いのだ。
これを知らずに、1が一番辛くないと思って注文し、撃沈した奴らを俺は数多く見てきた。
ケータイ会社の契約並みに分かりにくい。
俺は社会には罠が沢山あるということもこの店から学んだ。
「ハットリが1食うってよ」
まん丸のたむけんが続ける。
ハットリは無言でうなづく。
忍者のように寡黙な男だ…
忍者が寡黙なのかは知らないが。
「お前は何食うの?」
たむけんに聞いてみる。
「チャーハン。」
ラーメン食えや!!
まあ、たむけんがチャーハンを食うのは別にどうでもいいが、この忍者のような男が激辛ラーメンを食った時の反応は見てみたい。
「じゃあ授業終わったら行くべ。」
辛いラーメンが売りの店でチャーハンを食べるつもりの空気を読めない男と約束し、自分の教室に戻った。
「おーおー、混んでるな」
店の前の行列に並びながらたむけんは行った。
多分この中でチャーハン食うのお前だけだと思うぞ。
「すーっ、ふーっ」
ハットリはその隣で深呼吸している。
さすが忍者だ。
おそらくは集中力を限界まで高めるルーティーンだろう。
知らないが。
いよいよ中に入る。
婆さんが注文をとりにくる。
「俺、4で。」
「…1で。」
「チャーハン!!」
恥ずかしいから黙って!
婆さんの目の色が変わる。
やっぱりここでチャーハンなんか頼んじゃダメだったんだよ早く謝れたむけん。
「1は本当に辛いですが大丈夫ですか…?」
1を頼んだハットリへの確認だった。
「辛いのが得意くらいならやめておいたほうがいいです…」
「頼んだ人だいたい後悔されてますよ」
おーおー随分期待させてくれるじゃねえか。
だがこんなことでビビるハットリじゃあねえぞ。
「数週間分、まとまった休みは取れますか…?」
「なにが起きた場合においても当店に責任はないという書類にサインを…」
ビビらせすぎだろ!
飲食店で責任とか書類とかあんまり聞かないよ。
頷いたハットリは油でべとべとのテーブルの上で書類にサインした。
油で書類がすけて、奥のババアがうっすら見える。
だからラーメン屋と書類は相性悪いんだって。
奥で店主が書類のチェックをしている。
資格とかいるレベルの劇物を扱っているんだろうか。
そして、ついにソイツが来た。
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