ラストシーン

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ラストシーン

 帰りの電車は、もうない。  横たわる川面は凪いでいて鏡よろしく対岸にある遠い街明かりを映している。点々と灯る煌めきはほんの微かに揺らめき、まるで季節はずれの精霊流しのよう。もっとも、その送り火が流れることはない。こちらの岸にある光源は道を照らす外灯ばかりで、水辺の砂利に立つ身に明るさを寄越してはくれない。言うなれば、暗い。薄闇に包まれている。とはいえ人の表情を見て取るくらいのことはできて、カメラをこちらに向けるサトルが奇妙なほど神妙な面持ちをしているのは分かる。  一つ歩み出てジャリリッと音を立ててみると、サトルはこの足先にカメラを振って、暗さによりオートフォーカスが機能しないのか、素早く手動でピントを合わせた。  あらかじめ彼から預かり受けていたスターリングシルバーのジッポーライターを取り出し、目の前に山積した段ボールを見下ろす。次いで炎の描かれた缶も取り出してオイルを撒き散らす。オイルの揮発力は相当強いようで、淀んだ臭気が一気に辺りに広がった。淀んだのは空気だけではなく、顔と顔、そしてもう一つの顔も淀んだ色を浮かべる。 ――どうするつもりなの?  リホが言うので、火遊びだよ、と返事をする。加えて、火遊びの終わりには相応しいだろ、と気取ったことも口にしてみる。彼女は何も言い返してこない。  静かだ。皆、すでに語るべき言葉を出し尽くしていた。  中身が残りわずかとなったオイル缶をリホに託してからジッポーの蓋を親指で弾くように開く。金属が金属を叩く小気味よい音が響いてギザついたホイールが姿を晒す。それを回すと発火石からとても細かな火花が散った。街明かり点々。星明かり点々。ジッポーの炎が新たな光る点として手元で揺らめく。  蓋が開いたままの、火がついたままのジッポーを、オイルにまみれた段ボールに向かって投げる。炎があがる。ジッポーの持ち主であるサトルはチッと舌を打ったけれど、カメラのマイクに音を拾われてしまうのを恐れたらしく、それ以上は一切のノイズを発することはなかった。もちろん言葉も。  立ちあがった炎は瞬く間に身の丈ほどに成長し、肢体をくねらせて踊る。その先端は蛇のように空の端をチロチロと舐め、吐息に似た白煙を吹く。眩い光と共に炎熱を浴びせられ、熱い。それはサトルにしても同じはずであるにもかかわらず、彼はカメラを構えたまま恍惚とした目で一歩二歩と前に出た。  肢体が、踊っている。  けれども舞い降りる金色の火の粉はこの身を焦がしてはくれない。 ――こんなの地獄の業火とは言えないな。  呟くと、サトルが振り返った。彼の顔は炎の光を反射して赤く染まっている。同様にカメラのレンズも赤く輝き、こちらを睨んでいる。  その獣の目を勢いよく指差し、声を張ってさらに述べる。 ――贋作地獄変。なかなか良いタイトルじゃないか。
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