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『だまれ!』
大きな怒声が、後ろのほうの席から聞こえてきた。
トラブルだろうか? そう思い、席の前にあるモニターのアシスタントボタンを押した。
「お呼びでしょうか? お客様」
中性的な声でモニターに登場したのは、緑色に塗られた、男子トイレと女子トイレの中間のような形のピクトグラム。
これが、このスペースシャトルのAIアシスタントである。
「なんか大きな声が聞こえてきたけど。何があったの?」
「はい。お客様同士のトラブルのようです」
「いや、それはわかるんだけど。内容だよ、内容」
「申し訳ございませんが、詳細につきましては回答を控えさせていただきます」
それはそうか、とは思うのだが。のっぺらぼうなピクトグラムに言われるのは、若干の苛立ちを覚えた。
AIアシスタントには、当初はアニメに出てきそうな可愛い女性キャラクターが採用予定だったらしい。が、開発段階で情報をつかんだ利用予定者からクレームがあり、現在のものに変更になったと聞いている。
『ワシはこの席に大金を払ったんだ! それを子供に譲れ? 怒るのは大人げない? 非常識にも程がある!』
後方でキレていた人の声が、また聞こえた。
「アシスタントさん。モロに聞こえてくるんで回答控える意味ないよね?」
「おっしゃるとおりでした。失礼いたしました」
どうやら激怒している人は、子連れの親から「うちの子がそこの窓から外を観たいと言っているので、少しのあいだ代わっていただけますか?」と頼まれたらしい。
せっかくの宇宙旅行でキレてわめき散らすのはどうかと思うが、頼むほうもおかしいだろう。どっちもどっちだ。
僕はやれやれと思いながら、紅茶のチューブを吸った。
『もう一度言ってみろ!』
今度は違う人の怒鳴り声がした。子供の泣く声まで聞こえる。
僕はまたアシスタントボタンを押した。
「お呼びでしょうか、お客様」
「今度は何が起きたの? あ、回答は控えなくていいからね」
「はい。叫ばれたお客様の後ろのお客様が――」
『わしはな! もう八十年以上も宇宙に出る夢を見続けてきた! そのうち安く宇宙に行けるようになるだろうと思って、若いころから地道にコツコツ金を貯めて、その貯金を全部はたいて、やっとここに来ているんだ! なのにすぐ後ろで「ママ、うちゅうつまんない」? 「もうかえりたい」? 「あきた」? たわけがっ! そんな奴が乗ってくるな!』
アシスタントに説明させるまでもなく、また声が聞こえてきてしまった。
「なるほどそういうことか。わかりやすい」
「……はい」
「まあ、気持ちはわからんでもないかなぁ」
「ですが幼児を殴るという暴行事件ですので、ご老人はたった今、機内の警官により拘束となったようです」
「うわ。手まで出したのか……」
やはり、八十年も夢を見続けて蓄積されたエネルギーは凄まじいものがあるのだろうか。もちろん悪い方向にだが。
『ふざけるな!』
今度は何だ?
若干うんざりしながら、アシスタントを起動した。
「お呼びでしょうか、お客様」
「今度は何」
「はい。今度は――」
『こっちのスペースに入ってくるな! 無重力だからといって浮くな! シートベルト着けて席にいろ!』
「……というようなトラブルのようですね」
「はぁ……」
もはやため息しか出てこない。
ありがたいことに、日本にも格安宇宙飛行会社が設立されて、今はサラリーマンでも宇宙に行けるようになっている。
僕もやっとのことで宇宙に行けることになり、ウキウキワクワクな気持ちでこのスペースシャトルに乗り込んだのに。興覚めもいいところだ。
『こっちにはみ出してきて写真を撮るな! マナーを守れ!』
また違う怒鳴り声がする……。
『マスクを着けろ!』
『荷物を後ろから席に当てるな!』
『シートを勝手に倒すな!』
……。
僕は立ち上がって、後ろを向いて叫んだ。
『お前ら! うるさいぞ! いい加減にしろ! ちゃんと宇宙旅行しろ!』
その直後、僕は前の席の人から「うるさい!」と怒鳴られた。
-完-
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