やっぱり不安、宇宙旅行

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
『だまれ!』  大きな怒声が、後ろのほうの席から聞こえてきた。  トラブルだろうか? そう思い、席の前にあるモニターのアシスタントボタンを押した。 「お呼びでしょうか? お客様」  中性的な声でモニターに登場したのは、緑色に塗られた、男子トイレと女子トイレの中間のような形のピクトグラム。  これが、このスペースシャトルのAIアシスタントである。 「なんか大きな声が聞こえてきたけど。何があったの?」 「はい。お客様同士のトラブルのようです」 「いや、それはわかるんだけど。内容だよ、内容」 「申し訳ございませんが、詳細につきましては回答を控えさせていただきます」  それはそうか、とは思うのだが。のっぺらぼうなピクトグラムに言われるのは、若干の苛立ちを覚えた。  AIアシスタントには、当初はアニメに出てきそうな可愛い女性キャラクターが採用予定だったらしい。が、開発段階で情報をつかんだ利用予定者からクレームがあり、現在のものに変更になったと聞いている。 『ワシはこの席に大金を払ったんだ! それを子供に譲れ? 怒るのは大人げない? 非常識にも程がある!』  後方でキレていた人の声が、また聞こえた。 「アシスタントさん。モロに聞こえてくるんで回答控える意味ないよね?」 「おっしゃるとおりでした。失礼いたしました」  どうやら激怒している人は、子連れの親から「うちの子がそこの窓から外を観たいと言っているので、少しのあいだ代わっていただけますか?」と頼まれたらしい。  せっかくの宇宙旅行でキレてわめき散らすのはどうかと思うが、頼むほうもおかしいだろう。どっちもどっちだ。  僕はやれやれと思いながら、紅茶のチューブを吸った。 『もう一度言ってみろ!』  今度は違う人の怒鳴り声がした。子供の泣く声まで聞こえる。  僕はまたアシスタントボタンを押した。 「お呼びでしょうか、お客様」 「今度は何が起きたの? あ、回答は控えなくていいからね」 「はい。叫ばれたお客様の後ろのお客様が――」 『わしはな! もう八十年以上も宇宙に出る夢を見続けてきた! そのうち安く宇宙に行けるようになるだろうと思って、若いころから地道にコツコツ金を貯めて、その貯金を全部はたいて、やっとここに来ているんだ! なのにすぐ後ろで「ママ、うちゅうつまんない」? 「もうかえりたい」? 「あきた」? たわけがっ! そんな奴が乗ってくるな!』  アシスタントに説明させるまでもなく、また声が聞こえてきてしまった。 「なるほどそういうことか。わかりやすい」 「……はい」 「まあ、気持ちはわからんでもないかなぁ」 「ですが幼児を殴るという暴行事件ですので、ご老人はたった今、機内の警官により拘束となったようです」 「うわ。手まで出したのか……」  やはり、八十年も夢を見続けて蓄積されたエネルギーは凄まじいものがあるのだろうか。もちろん悪い方向にだが。 『ふざけるな!』  今度は何だ?  若干うんざりしながら、アシスタントを起動した。 「お呼びでしょうか、お客様」 「今度は何」 「はい。今度は――」 『こっちのスペースに入ってくるな! 無重力だからといって浮くな! シートベルト着けて席にいろ!』 「……というようなトラブルのようですね」 「はぁ……」  もはやため息しか出てこない。  ありがたいことに、日本にも格安宇宙飛行会社が設立されて、今はサラリーマンでも宇宙に行けるようになっている。  僕もやっとのことで宇宙に行けることになり、ウキウキワクワクな気持ちでこのスペースシャトルに乗り込んだのに。興覚めもいいところだ。 『こっちにはみ出してきて写真を撮るな! マナーを守れ!』  また違う怒鳴り声がする……。 『マスクを着けろ!』 『荷物を後ろから席に当てるな!』 『シートを勝手に倒すな!』  ……。  僕は立ち上がって、後ろを向いて叫んだ。 『お前ら! うるさいぞ! いい加減にしろ! ちゃんと宇宙旅行しろ!』  その直後、僕は前の席の人から「うるさい!」と怒鳴られた。  -完-
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!