やっとあの家に、あいさつに行ける

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 この家だ。  小さい頃よく行っていた、思い出の家。  芝生の端に生えている柿の木の、たっぷりの陽射しを浴びた甘柿。  隣にある畑の、土の栄養がぎっしり詰まった芋。  どちらも本当においしくて、大好きだった。  大きくなってからは、行かなくなった。  行ってはいけないのだと、わかるようになったから。  行ったら迷惑なのだと、わかるようになったから。  お礼のあいさつをしたいという思いは、ずっとあった。  なのに、そうするわけにもいかなくて。  遠くからこの家を見つめるだけしか、できなかった。  でも、今ならば、大丈夫かもしれないと思った。  今ならば、大目に見てもらえるかもしれないと思った。  迷惑は、やっぱりかけてしまうのだろうけれども。  枯芝が、あたたかい。  昔より、少し剥げている。でも、あたたかい。  眠い。  誰も、いない。  誰も、見えない。  眠い。  誰か、いませんか。  ああ、いた。  出てこなくて、いいです。こちらを、見てください。  ああ、見てくれた。  ありがとう、ございます。  僕です。覚えて、いますか。  何度か、あなたがたに、怒られました。  だから、たぶん、あなたがたにとっては、僕はただの、邪魔者だったのだと、思いますけれども。  僕は、感謝して、います。  本当に、お世話に、なりました。  ありがとう、ございました。  その気持ちを、お伝えする、ために、きました。  どうか、届き、ます、よう、に。 「おばあちゃん。このイノシシ、しんだの?」 「そうみたいだね」  ゆっくりと倒れ、動かなくなった巨体。  それを見て庭に出てきたおばあさんと孫は、少しの間、亡骸を眺めていました。 「手を合わせておやり」  そしておばあさんが合掌すると、孫も手袋に包まれた小さな手を合わせました。  - 完 -
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