23人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
ふたりは犬の紐を引いて「鈴置葬儀店」を離れ、柊木町の坂を下り始めた。一番低いところまで下り、龍姫川のせせらぎを聞きながら、殺風景な鬼河原というところをずっと歩くのだ。
「そういえば、瑠璃子ちゃん。今日は京作さんと一緒じゃないんだねー」
「あ、うん……」
京作とは、少し前、柊木町に単身越してきた解体屋の若隠居である。
『稲羽某なる男が、仕事の都合で、西洋人の妻と共にしばし日本を離れることになった。その娘たる瑠璃子は同行不可能だった。出発直前、階段から落ちて頭を打ち、重度の記憶喪失に陥ってしまったために。瑠璃子は遠縁に当たる京作に預けられ、回復を待つことになった』
……というのは表向きの話で、彼女の記憶喪失以外は全て真っ赤な嘘だ。
実際は、京作は「鬼瓦組」という汚れ仕事屋の頭で、「朱鳥会」なる大やくざと対立している。瑠璃子の身柄を巡ってのことだった。
朱鳥会は、京作が引退の上、今後柊木町から一歩も出ないならば手を引くと約束した。京作は条件を飲みつつも、完全には信じておらず、瑠璃子を傍に置いて目を光らせている。普段、犬の散歩にまでわざわざ付いてくるのもそういうことだ。
鈴子は本当の事情を知らない。ただの過保護な親戚だと思っている。
瑠璃子は歯切れ悪く答えた。
「あ、の……。京作さん、今日は体調が悪いみたいで……」
「ええっ。大丈夫なの?」
「わからない。でも、寝たら治るから心配しないでって……」
これは嘘ではなかった。京作はまだ三二歳だが、体の機能が全体的に衰えているとかで、万全だという日の方が少なかった。
「そっかー……。でも、心配だよね? お散歩、早く切り上げて帰ろうか」
「う、ううん! 私こそ、京作さんに余計な心配かけたくないから。実は、今日のお散歩はお休みしてねって言われたのだけれど、黙って出てきてしまったの。京作さんに頼らなくても、ひとりでもちゃんとできるってところ、見せたいと思って……」
「そうなんだ……?」
「うん。だから、トントンさんのお世話くらい……こんな簡単なことくらい。ひとりでも、いつも通りやらなくちゃ……」
最初のコメントを投稿しよう!