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国花
「ほら、耳を澄ましてごらん」
深緑色の制服に身を包んだ父が、私の腰を抱えると軽々と膝の上に乗せる。肩から袖口まで走る3本の深紅のラインは、この場所の最高責任者であることを示す。胸を飾る金色の双葉模様の刺繍は、国家資格の“育緑師”の証。そんな制服姿の父が誇らしくて、大好きだ。
ぱっちん!
「ひゃっ」
耳を澄ませと言うからには小さな音かと思いきや、薪が勢いよく爆ぜるような破裂音が上がる。驚いて思わず身を引けば、温かい胸板に背中がトンと触れた。
「ははっ。すごいだろう?」
楽しげに笑いながら、父の大きな手が肩に添えられる。
テーブルの上に並んだ5つの鉢。それぞれ高さ30cm程の植物が凛と生えている。
「これが、本物の国花?」
右巻きのらせん状に伸びた太い茎のてっぺんで、たった今、目の前で開いた肉厚な花弁が8枚垂れ、糸のように細い無数の雄しべが放射状に広がっている。花の形は奇妙だが、陽光を受けた雄しべはキラキラと虹色に輝いて、噴水を連想させた。
「ガルベ・ロ・グリュ・ラズィー・レオレというのが正式名なんだが」
「そんな長い名前、覚えられないよ」
制服に描かれた刺繍の双葉は、この国花だ。古くは野山にも群生していたけれど、約50年前に起きた大火で焼失したという。歴代の育緑師達が植物園に残った僅かな個体から株を増やし、今では建国祭に限って開花させている。王宮内の式典で飾られる貴重品なので、一般市民が本物を目にすることはほとんどない。
「リエーヌは、植物学には興味ないのかい」
「あるわ。私、薬草学者になるの」
亡き母は病弱だった。薬草学に長けた古の白魔女の血が入っているとかで、人の役に立つ草花を庭で育て、民間薬を調合していた。地域の人々から頼られ、落ち込んだ人には心を癒すお茶を煎れたり、寒い冬には身体を温める香草を練り込んだパイを沢山焼いて、振る舞ったりした。人と植物を愛し、誰からも愛された人だった。
「国花も、綺麗なだけのお花も好きよ。でも、皆を幸せにする植物なら、もっと好き」
正直に答えたのに、父はまた嬉しそうに声を上げて笑った。その笑顔が、瞼に残る遺影となった。
建国祭を控え、連日植物園内の温室に泊まり込んでいた父は、笑顔の2日後の朝、冷たく変わり果てた姿で発見された。遺体の周りには割れた鉢が散らばり、開花した筈の国花は無惨に枯れていた。
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