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悲劇
初夏の生温く湿った夜気に、蒼い月の楕円の輪郭が緩く溶けている。天頂を越えて、およそ3時間、夜明けにはまだ遠い。新米衛兵のウェレクは、中央広場の巡回を終えて城門に向かっていた。自分のブーツが石畳を踏む音だけが、寝静まった街に響く。今夜も、今のところ異常なし。
普段は3時間ごとに行われる深夜の巡回だが、4日前から1時間ごとに変更された。理由は、ここ王都クラヴィルで3日後に行われる建国祭だ。王族や貴族の集う式典は王宮内が会場となるが、中央広場でも商工ギルドの許可を得て、装飾品を売る店や飲食店の屋台が並び、大道芸などの見世物小屋も立つ。それらを目当てに国内外から数多の観光客や行商人が集まってくる。人々の集まる所には、当然良からぬ目的を持った輩も忍び込む。歓声と熱気に満ちた独特の雰囲気は好きだけど、祭の2日間は最警戒体制で王都の治安を守らねばならない。
城門の左右に、仁王立ちする警備兵の姿が見えた。門を抜ければ詰め所まであと少し。待機中の先輩に報告した後は、30分の休憩が待っている。
「ご苦労様です!」
警備兵の前で足を止め、互いに敬礼を交わしてから城内に入る。門の影を通過して、再び淡い月光の中に踏み出した時――。
ひぃー……ぁあああー……!
「ぐぅっ……?」
鋭い警笛にも似た甲高い音が耳を刺し貫き、脳に痺れが走る。呼吸が詰まり、激しい目眩に世界が回る。ウェレクは膝を付いた……と思ったが、そのまま全身から力が抜けて、人形のようにドサリと前のめりに突っ伏すと、そのまま意識を手放した。
翌日、夕刻。ウェレクが兵舎の自室で目覚めた時には、被害状況が明らかになっていた。
死者15名、意識不明の重症者37名、身体に麻痺が残る中軽症者122名。幸いにして王族の被害はなかったが、数名の老貴族が床に伏した。
死者14名には、いずれも転倒痕以外の外傷はなく、脳からの出血が死因だった。検死した王宮典医は「強い衝撃波が直接脳を破壊したようだ」と語った。後に、ウェレクも聞いた、あの高音が原因とみなされた。
そして、1名だけ――王都の東にある王立植物園の特別温室の中から、瞬間冷凍されたかのように硬直した遺体が発見された。
建国祭は中止になり、代わりに14名の合同葬が行われた。
やがて事件より5ヶ月の後、この事件の共謀者達が密やかに処刑された。
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