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11/9(火)
好きでもない男に抱かれて、それなりにでも、満たされる女がいるのだろうか。
「夫が抱いてくれない」、「もっと女として見られたい」といった理由でよその男性と関係を持つ…という話も聞くけれど。
果たしてそれはノンフィクションでありうるのか。
さほど特別な事とも思えない、想像に足る事象なので、まぁ実際にそういう人もいるのだろう。
ただ、今の私には同意しかねる心情だ。
例えさほど乗り気でない日でも、それがあまり満足な内容でなかったとしても、夫とのセックスの事後は、他人とのそれより虚しいことはまぁ無い。あっても忘れているだけかもしれないけれど。
私の感覚においては、他人と何かしらの関係を持つ時間には、時として価値が生まれる。会話、仕事、食事、セックス、何わせずともただ一緒にいる時間。それらを介して、何かを与えたり、何かを受けとったような感覚が生じることがある。
それが繰返し行われた存在との間には、すなわち「情」が生まれる。
情のない他人とのセックスは虚しくて苦痛である。しかし、それによって平凡な毎日に鬱々としていた自分に渇が入り、退屈にありがたみが湧くのだ。
セックスは目的ではなく手段の1つである。
それは、今も昔も変わらない私の価値観の1つであり、この感覚を身近な人に共感してもらえた事はない。
私が若い頃に、いろんな人と体の関係を持って対価をもらっていた事と関係するのかもしれない。
美味しいものをご馳走してもらうため。
寂しい時に一緒にいてもらうため。
お小遣いをもらうため。
その人の内面を知りたいがため。
時間を潰すため。
夫婦の関係を少しでも良好に保つため。
ご飯は1人で食べるのが落ち着くし、寝るときも1人が落ち着く。性欲を満たすのも自分1人でするのがいい。
私は寂しがりで欲しがりだけれど、その反面、いろいろ諦めているのかもしれない。
鏡に映る自分の目は、鋭いようで、睨み付けるようで、気が強そうに見えると思っていたけれど。
実は少し寂しそうでもあったりして、いろんなものを諦めた人間の目なのかもしれない。
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