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彼
頭が痛い。何か、大切なものを失ったようだ。
店は嘘みたいに、跡形もなく消えていた。
私は、何を失ったの?
その瞬間、何かが頭の中で弾けた。
体の内部から訴えかけられる。
私は、行かなければならない。
でも、どこに?
わからない。
分からないけど、体が動き出していた。
何かで操られているようだ。行くべき場所が、本能的に分かる。
公園を通って、花屋と床屋を通って、
あの細い道に出る。
紫陽花が綺麗だ。
さっきまで降っていた雨が止んで、雨粒が輝いている。
その時、天地がひっくり返った。
道の先に、誰かが立っている。
知らない人。でも、とても懐かしくて愛しい人。
好きだ。
自分でもおかしいと思う。でも、見た瞬間に、好きだと思った。
その瞬間、彼が私に気づき、笑顔で走ってきた。
炭酸が、真夏の太陽の下で弾けるような、眩しい笑顔だ。
「やっほー」
あまりに気軽に話しかけてきて、びっくりした。
「すみません、どなたですか?」
その瞬間、彼の顔が凍りついた。
でも、その後何かを悟ったように穏やかな笑みを浮かべた。
「そっか。俺の記憶を失ったのか。こうなるかもしれないって聞いてたよ。だから大丈夫」
彼は少し赤くなって言った。
「俺たち、付き合ってるんだよ」
不思議と納得出来た。私はこの人に惹かれている。
「俺のこと忘れてるみたいだけど、俺はお前のこと、すごく好きだ。だから、また会ってほしい」
彼は手の甲で口元を触った。
デジャヴュだろうか。何回も見たことがあるような気がする。
これは、彼が照れたときの癖だ。
「私も、好きだよ。
さっきから、ずっと懐かしい感じがするの」
彼は優しく笑った。
その笑顔が、太陽に照らされて炭酸みたいに甘酸っぱく弾けた。
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