綾も錦も。

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 皆を見送り、部屋へと入って来た雪成。其の足は、奥の織機へと進む。其れを前に、雪成は表情を引き締めた。そして、一度織機へ触れた其の手は、一心不乱に機を織り出す。部屋へ籠り、朝も、昼も、宵が訪れても。ひとつひとつの行程を丁寧に、思いを込めて織り込んで行く。  雪成は今、漸く鶴の導きを理解したのだ。何故己が旭日川へ来たのか、鷹一郎の元へ来たのか。天下を託される運命を背負った鷹一郎へ、翼と爪を取り戻させる為に。世の平安を守り続けた旭日川へ、再び鶴の翼を授ける為であると。 「お願いです、御鶴様。よいちを、皆を助けて下さい……旭日川が、再び平和な世を築きます様に……皆が、又笑って暮らせます様に……!」  念じる様な声、止まらぬ動き。只、雪成の其れは家の誇りだとか、血の使命だとかそんな思いと信念ではない。綾も、錦も、福も、全て只々恋しい夫の為に。此処に居る家族の為に。  だが。此の願い叶うならば己の羽は全て織り込もう、声も枯れる迄鳴こう。あの鷹が翼を広げ、天高く舞い上がる姿を見られるのならば、己は声も翼も望まぬ。例え二度と、並んで飛ぶ事が叶わずとも。強い思いと覚悟を込めて、規則的に鳴り響く織機の音。其れは、懸命に福を呼ぶ鶴の声、織り込むは鶴の羽。己の羽を一枚、又一枚と自ら折って身を捧げるが如く気迫で。そんな雪成の部屋には、見えぬ白き羽が散らされ、舞うて居る様であったと云う。  旭日川の御家騒動。老いて倒れ掛ける鷲と心優しき若鷹の軍、猛攻止まらぬ若き鸛と梟の軍が刃を向け合う天下分け目の戦は、長期戦となって居た。両軍共に、傷付き倒れる者、其のまま動けず逝く者。命在れど心身の疲労は最早限界、気力ひとつを頼り、互いに譲れぬと。其の現状、鷲と鷹の軍はやはり劣勢を強いられていた。領地も徐々に追い込まれ、此れは最早とそんな不安を抱かせる程に。だが、諦める等許されぬ、己等の背には平和を信じる民の明日が在るのだから。
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