綾も錦も。

12/38
前へ
/243ページ
次へ
 只一言。そんな中で、傍らにて控える男。長く梟一郎の側に仕えて来た、国松(クニマツ)が静かに拝をする。 「殿。どうか、御決断を……殿の背へ控える民の為に、慈悲を乞わねば成りませぬ」 「正智(まさとも)は?」  其れは、もう一人の我が忠臣の名。 「正智は、殿の望みのままに動くと。殿の御決断が進撃でありますならば、私も共に」  多くの家臣達の中でも、国松と正智だけは何時も梟一郎へ常に従って来た。今、其の国松が初めて拝をし進言をして居る。だが、歩むも退くも、梟一郎次第であると。 「そうか……」  梟一郎は、再び軽い溜め息。戦況は一変。母は違えど、弟の事はよう知って居る。生真面目で優しい性質、故の不器用さ、案じる程人が良い処も。そして、そんな鷹一郎が最も戦に秀でる才を持つ事。あの鷹が爪を出したのならば、己等に勝機は無い事も。  鸛一郎も、今正に決断を迫られて居るだろう。そして、鸛一郎も弟の事はよう知って居る。一度決断した事へ退く事は無い、例え己等兄が相手であろうとだ。鷹一郎が、真強き漢である事を。 「書簡を認める。こうなっては、金と兵の無駄だ」  梟一郎の決断。其れは、無条件降伏。我が領地の民達への温情と、開城に於いて無血を乞う旨。  認める筆が、ふと止まり笑みを溢した梟一郎。 「今気が付いた。私は、鶴が欲しかったのだ……あの、眩しく美しい鶴が……」  梟一郎は、憂える瞳で何処ともない空を見詰め呟く。婚約希望の書簡を届けたのは、母の推しと軽い運試し。だが、披露宴に現れた雪成を目にした時、其の美貌と内より溢れる不思議な眩しさに一瞬で魅入られた。浚ってでも、手に入れたい。乞うたのは、地位を手にする福に非ず。鷹の為に声を上げ、美しく舞い踊る鶴一匹。 「心得て居りました。私と、正智は」  国松の静かな声。そして、厳かに手を付き拝をする姿。 「叶えて差上げられず、真に申し訳御座いませぬ」
/243ページ

最初のコメントを投稿しよう!

110人が本棚に入れています
本棚に追加