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9
「アデリーナ……」
ユリアンの口から呟くように出た名前に身体が強張る。
彼らが名前で呼び合う仲なのは知っていた。けれどユリアンは結婚したのだ。隣に妻を連れ、今日のように人目のある場所でもそれは変わらないのか。
庭園での出来事が頭をよぎり、引いたはずの汗が再びじわりと肌に浮かぶ。
緊張なのか恐怖なのかわからない感情の正体を突き止めている暇はない。ツェツィーリエは自身の心の内を悟られないよう、努めて平静を装った。
ゆっくり振り向くと、そこには満面に笑みをたたえたアデリーナが立っていた。
「アデリーナ殿下、今宵はお招きいただきまして……」
「ああもう、どうかそんなにかしこまらないで?あなたに会いたくて無理を言ったのは私なのだから!」
「殿下が私に……?」
「ええ。何度ユリアンに言っても会わせてくれないから、お父様にお願いしたの。今日は絶対にツェツィーリエ様を呼ぶようにって」
そんな話しは聞いていなかった。
ユリアンの顔を見ると、彼は気まずそうに目を逸らす。
「ツェツィーリエ様。私、あなたと仲良くなりたいの!」
「私と……ですか……?」
「突然こんなこと言ってごめんなさいね。驚いたわよね。でもね、本当なの。私、ずっとずっとあなたと仲良くなりたいって思っていたのよ。だってあなたと私はとっても似てるから」
ツェツィーリエは混乱した。
アデリーナとツェツィーリエの似ているところなんてせいぜい髪の色くらいだ。
顔の造形や体型はまるで違う。一体どこが“とっても似てる”のか。
それに、ユリアンの気持ちを知っていながらよくそんなことが言える。
彼は今どんな気持ちでこの会話を聞いているだろう。怖くて顔を見ることができない。
表情に明らかな戸惑いを浮かべ、首を傾げるツェツィーリエに、アデリーナはなおも無邪気な笑顔を向けてくる。
「こらアデリーナ。あまり人を困らせるものではない。今日はただでさえお前のわがままを聞いてもらっているのだから」
不意に現れたのはアデリーナの父である国王だった。国王は、慌ててお辞儀をしようとするツェツィーリエを手で止めた。
「いや、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。久し振りだねツェツィーリエ嬢……ああ失礼、今はもうベルクヴァイン公爵子息夫人だったね」
小さな子供を叱るような父親の態度に、アデリーナは目一杯頬を膨らませた。
「あらお父様!失礼だわ、困らせてなんていないわよ。ね?ツェツィーリエ様」
「ユリアンのあの顔を見てみろ。これの機嫌を損ねるとあとが大変なんだ。夫人もすまなかったね、許してくれるかな?」
「そんな……陛下、滅相もございません」
ちらりとユリアンを盗み見ると、とても複雑な表情をしている。
なにか言いたげな様子だが、ここは公の場で人の目がありすぎる。しかも国王が出てきてしまったので、言いたいことも言えないのだろう。
だがそのことに気を良くしたのか、アデリーナは再びツェツィーリエに詰め寄った。
「ねえツェツィーリエ様、今度ぜひ私の部屋にお茶を飲みにいらして?女同士色々お話しましょう。ユリアンとの生活についても聞きたいし!」
近すぎる距離に驚いて、少し後ずさったツェツィーリエの肩を、後ろからユリアンが両手で支えた。
大きな手から伝わってくる温かさに少しだけほっとする。
「アデリーナ殿下、申し訳ありませんが妻は我が家に嫁いだばかりで忙しいのです。せっかくですがお茶はまたの機会にしてください」
「まあユリアンたら!そんなよそよそしい喋り方はやめてちょうだい。いつものようにアデリーナって呼んで?それにツェツィーリエ様が嫁いだのは半年も前のことよ?そんなに心配だっていうのなら、あなたも一緒について来ればいいじゃない。もちろんその時は部屋の外で待っててもらうけどね」
アデリーナはたとえユリアンがなんと言おうと、ツェツィーリエを自身の部屋に招待するつもりだろう。
王族の誘いを断るなどという選択肢は臣下にあるはずがない。例えそれがはとこ同士という親しい間柄だったとしても。
これ以上の問答は誰のためにもならない。
ツェツィーリエは頭を下げた。
「ありがとうございますアデリーナ殿下。お誘い、ありがたくお受けいたします」
「まあ!ありがとうツェツィーリエ様!」
「ツェツィーリエ!」
嬉しそうなアデリーナの声に続いて聞こえてきたユリアンのそれは、ツェツィーリエに対する怒りが混じっているようだった。
(アデリーナ様のことではこんなに感情豊かになるのね)
ツェツィーリエは頭を下げながら、ぼんやりとそんなことを思っていたのだった……
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