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15 ユリアンの過去②
胸を拳で殴られたような、そんな衝撃だった。そして呼吸は浅くなり、強い不安感に襲われた。
ユリアンは訳がわからず、とにかくその場を離れようと思い身を翻した。けれどなぜかそこから動くのをためらう自分がいた。
恐る恐る振り返ると、やはり亜麻色の髪の女性は切なそうに微笑んでいた。きっとあの男からまたなにか言われたのだろう。俯いていた。
なぜかこのままここにいたらいけない気がして、ユリアンは今度こそそこから立ち去った。
*
「なあ、もしも“使えない女だ”って言われたら、どう思う?」
「いきなりどうしたのユリアン。しかもその言葉、ものすごく不愉快だわ」
同い年のはとこ。第一王女アデリーナは、俺の言葉に顔を顰めた。
あの日見た女性の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。だから、いつも定期的に呼ばれるこのはとこの暇潰しのための席で、軽い気持ちで聞いてみたのだが、思っていたより強い反応が帰ってきた。
「街中で偶然耳にしたんだ。だけどその女性は微笑むだけでなにも言わなかったんだ」
理解できない反面、誰よりも理解できる。
前者は人として。後者は貴族としてだ。
矛盾してるが仕方ない。
貴族の結婚はほとんどの場合利害関係が発生する。偶然見かけたあの二人はおそらくだがその最たる形で、女性は男に逆らえない理由があるはずだ。そして男の方も、自分から女性が離れることはないとわかっているからあんな態度がとれる。
「でもなんでそんなこと気にするの?あなたにはなんの関係もない……住む世界の違う人間でしょう?」
アデリーナは心底理解できないという顔をしていた。
確かにそのとおり。あれは自分にとってなんの関係もない人間だ。
(まあ、お前にはわからないだろうな)
世間では聖女だなんだともてはやされているアデリーナだが、その中身はまるで違う。
彼女が聖女だなんてとんでもない。アデリーナは他人が自分に求めるものをその通りに演じるのがうまいだけ。自分を演出するのに長けているのだ。
本当の彼女は気分屋で、面倒なことが大嫌い。
だが王女という地位から、どんな風に振る舞おうとも賛辞以外その身に受けたことがないアデリーナにとって、ユリアンの見た光景は、それこそ世間に出回る安っぽい物語の中の世界だろう。
そういえばアデリーナの髪の色も亜麻色だ。
(……だが同じ髪色でもあの女性とはまるで違う)
話す相手を間違えた。この日、ユリアンはその話題についてそれ以上は語らなかった。
それからもユリアンは以前と変わらず街に出た。だがそのたびにいつも、あの亜麻色の髪の女性を無意識に探すようになっていた。
たが二回目の出会いも、ユリアンにとっていいものではなかった。
*
その日、いつものように街をうろついていたユリアンは、あの日の二人連れを見つけた。
人出の多い日だったが、なぜかすぐにわかった。
たくさんの色が溢れる街中で、彼女の亜麻色だけが浮き出て見えたのだ。
ユリアンは二人の会話が聞こえるところまで近寄った。
「おい、ヴァルターじゃないか」
すると街を歩く二人に、一見ごろつきのような男たちが声を掛けてきた。
ヴァルターと名前を呼ばれた男は、怯える亜麻色の髪の女性に向かい、一人で家に戻るよう促した。
女性は何度も何度も振り返りながらきた道を戻って行く。
女性の後ろ姿をごろつき共は舌舐めずりするように見ていて、ユリアンの心はなぜか波立った。
「や、やあどうもギードさん。どうしました?」
亜麻色の髪の女性といる時とまるで違う。やけにへりくだった卑屈な態度に、彼らの力関係が窺える。
「いい女を連れてるじゃねえか。さすがお貴族様は違うな」
「え、ええまあ……」
「お前も立場があるだろうから、あんまりやりすぎるなよ?まあ、俺たちにとってはいいお客様だけどな」
(お客様?)
引きつった笑いを浮かべるヴァルターをあざ笑うようにして、ごろつきたちはその場を去っていった。
彼らの姿が見えなくなると、ヴァルターの表情は元に戻り、そのままどこかへ向かって歩き出した。
行き先は王都で有名な歓楽街。ヴァルターはその一角にある娼館へ入っていった。
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