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 宴には騎士の正装で出席するとユリアンは言っていた。騎士の正装は黒を基調とした装いとなっている。  なのでツェツィーリエは、しっとりと滑らかな艶を放つベージュ色の生地に、胸元と裾を黒のレースで縁取った上品なドレスを選んだ。  白い胸元を覆う繊細な花模様の贅沢なレース。職人の腕もさることながら、製作にかかる時間とお値段も相当なものだろう。  姿見に張り付いて、思わずうっとりと見とれていたツェツィーリエに声を掛けるのが躊躇われたのか、侍女はその後ろで静かに揃いのレースの手袋を差し出して待っていた。    「まあ、気づかなくてごめんなさいね。ありがとう、とても素敵なお品だわ。どこかに引っ掛けたりしないように気をつけないと」  ツェツィーリエの公爵子息夫人らしからぬ物言いに驚いたのか、侍女は目を丸くした。  莫大な資産を有するベルクヴァイン公爵家なら、この贅沢な手袋でさえ、一度はめただけで躊躇なく捨ててしまえる程度の物なのだろう。  けれどツェツィーリエは、あくまでユリアンに恥をかかせない程度にだが、日々の暮らしにおいては質素倹約を心掛けていた。  ここで与えられるすべてのものは、元々ツェツィーリエのものではない。  彼の妻の座も、贅沢な品も、ユリアンが愛するたった一人の女性に与えられるはずのものだった。  己の分をわきまえなければ。  それが自分のためであり、ユリアンのため。  「さあ、行きましょうか」  支度が終わったツェツィーリエを乗せて、馬車は王宮へ向けて出発した。  *  会場には既に大勢の騎士とその家族が集まっていた。並べられた長机の上にはたくさんのご馳走と、戦勝祝いに寄贈された酒類の瓶などが所狭しと並べられていた。  ユリアンが、“今回は慰労会のようなものだ”と言っていただけある。いつもの夜会などとは雰囲気が違い、とても賑やかだ。  「やあ、」  ユリアンを探すツェツィーリエに、一人の男が声をかけてきた。アレンスとはツェツィーリエの今は亡き一番目の夫の家名だ。  こんな人目のある場所で、今はベルクヴァイン公爵子息夫人であるツェツィーリエを旧姓で呼ぶなんて。  ひどい悪意を感じ、咄嗟に身構えた。  「そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか。ああ、そういえば今はベルクヴァイン公爵子息夫人でしたね。これはこれは失礼しました」  大げさに手を広げ、謝る素振りを見せたこの男の名はアンスガー。  濃茶色の短髪に、がっしりとした体躯の青年は、今は亡き前夫の友人……いや、“悪友”だったというべきだろう。  いつもだらしなく口元を緩め、人のことを馬鹿にしたような軽薄な目つきで見てくる態度は昔から変わらない。  (そういえば、彼は騎士団に所属していたんだった……)  アンスガーの息は、少し離れたツェツィーリエにもわかるほど酒臭い。宴はまだこれからだというのに、随分と(あお)ったようだ。  「……お久しぶりですわ。戦地から無事にお戻りになられたようで、ご家族もさぞご安心なされたことでしょう」  胸の徽章を見る限り、彼の階級は以前会った時と変わらず一番下だ。  ということは、今回の戦いでも長い間前線に張り付かされていたはず。できることなら関わりたくない相手だったが、彼はユリアンの部下でもある。だからツェツィーリエは、決まり文句のような労いの言葉をかけて、できるだけ早くこの場を立ち去ろうと思った。  「ええそれはもう。いつ来るかわからない敵襲に備え、緊張で張り詰めた日々でしたよ……ですからその、気の毒に思うなら昔のよしみで少し分けて貰えませんかね。久しぶりの王都だ。今夜は少し羽目を外したい気分なんですよ」  「今なんて?」  急に小声になったアンスガーに聞き返すと、彼は周りを気にしながらツェツィーリエに近づいた。  「だから、分けて欲しいんですよ。ヴァルターが残したやつ、あんた持ってるでしょ?」  「分ける?一体なんのことです?」  わけがわからず戸惑うツェツィーリエに、アンスガーは苛立ったように詰め寄った。  「だからあれだよ!あんただって楽しんだだろう?ヴァルターはあれを使うのが好きだった。一度使うとクセになるからな」  「申し訳ありませんが私にはなんのことやら……夫と待ち合わせておりますので、これで失礼致しますわ」
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