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  「おっ、おい、待てよ!」   逃げるようにその場を離れるツェツィーリエに、アンスガーが小さく舌打ちをしたのが聞こえた。  彼はなにが言いたかったのだろう。ヴァルターがなにを残したと?  アレンスの家からは、なにか受け取るどころか義両親の意向で遺産整理にも関わらせて貰えなかった。  だからツェツィーリエには、ヴァルターが残した私物すら確認することができなかったのだ。  (とりあえず、旦那様を見つけないと)  アンスガーとのやりとりをユリアンに相談するべきだろうか。彼に面倒をかけることは本意ではないが、黙っていて万が一あとで大きな問題になれば、もっと迷惑をかけることになるかもしれない。  背が高く美しいユリアンを見つけるのは簡単だ。人々の視線の先を追えばいいのだから。  けれど今日はどこを向いても彼を見つけることができなかった。  騎士団に知り合いのいないツェツィーリエは、仕方なく見知らぬ団員に声をかけた。  アンスガーとは違う、いかにも騎士らしい佇まいの青年は、ツェツィーリエの問いに快く答えてくれた。  「副団長でしたら、先ほどアデリーナ殿下に付き添って庭園の方に出られましたよ」  「アデリーナ殿下と……?」    今夜彼が王女殿下の護衛を担当するなんて話は聞いていない。  心臓がドクン、ドクンと大きな音を立て、背筋に嫌な汗が伝った。  王宮から漏れる光を頼りに庭園へと足を踏み入れると、会場からそう離れていない四阿のそばに人影が見えた。  別に悪いことをしているわけではないのだが、ずかずかと踏み込むのは気が引けて、ゆっくり静かに近づいた。  「愛してる」  聞こえてきたのは確かに夫の声。  しかし、彼が愛の言葉を紡いだのはツェツィーリエではない。  (……アデリーナ殿下……!)  こちらに背を向けて立つユリアンに隠れ顔は見えないが、僅かに見える豊かな亜麻色の髪は確かにアデリーナに違いない。  一歩、二歩と後ずさり、ツェツィーリエは震える身体を自身の両腕で抱き締め、急いでその場をあとにした。  わかっていたことだった。けれど知りたくは……見たくはなかった。  自分が邪魔者なのだという事実を突きつけられても尚、これまでと同じ日々を送れるほどツェツィーリエの神経は図太くない。  今すぐここから消えてしまいたい。でも、そんなことをすればユリアンに迷惑をかけてしまう。  (そもそも私は、傷つく資格すら持っていないのよ)  傷ついていいのは、彼の愛を向けられた女性だけ。そもそもツェツィーリエはアデリーナの身代わりで、自分自身それを受け入れて暮らしてきたのだ。  身勝手に傷ついて、今更舞台を降りるなんてできるわけがない。  (嘘をつくの)  自分にも、ユリアンにも周囲にも。決してばれない嘘をつくのだ。  なにも見なかった。そして自分は強く美しい年下の夫に大切にされ、愛されている幸せな妻。  ユリアンだってツェツィーリエに、そして自分自身の気持ちに嘘をついている。だから胸を張れ。  そしてこの会場中に、その大嘘を信じさせるのだ。          
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