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6
「どういうことなの……?」
お喋りな二人が出ていくのを見届けてから入ったパウダールームで、ツェツィーリエは一人、立ち聞きした会話の内容を思い返し鏡の前でため息をつく。
ユリアンがツェツィーリエを娶った理由について彼女たちが語っていた内容は、これまで抱いてきた自身の予想と大差なかったが、問題はアデリーナの素行についてだ。
内密に開かれていた宴とはどういったものだったのだろう。出席者は?ユリアンはアデリーナの遊び相手の一人だった?
だがアデリーナにとっては遊びでも、ユリアンは本気だったはず。それこそ自分という身代わりを娶るくらいに。
考えても考えても、答えは出ない。けれどツェツィーリエには関係のないことだ。
今の穏やかな暮らしは、ツェツィーリエがなにも知らないふりをしているからこそ保たれているようなもの。この先二人についてなにか知る機会があったとしても、これまで通り見てみぬふりを続けるほうが利口な生き方だ。
身代わりでも妻として扱ってもらっているし、優しく触れてもくれる。
世の中にはもっと悲惨な事情を抱えた夫婦なんて山ほどいる。そう考えると自分は幸せな部類だ。
(そろそろ戻らないと)
ツェツィーリエは鏡に映る顔をしっかりと見据え、“ユリアンと会っても決して動揺してはならない”そう自分に言い聞かせた。
*
コツコツと廊下に響くヒールの音が、今はやけに大きく感じる。
収まったはずの鼓動がまた走り出そうとするのを必死に抑え、ツェツィーリエは再び会場に足を踏み入れた。
そこには今までに何度も見かけた光景が。
人々はある一点に顔を向け、うっとりとした様子で視線の先にいる人物……ユリアンを眺めていた。
シャンデリアのせいじゃない。彼自身から放たれる眩い光に、ツェツィーリエは反射的に目を細めた。
遠目でもわかる上質な黒い生地に、金糸で施された刺繍が格の高さを覗わせる正装は、彼の整った顔と美しい肌を一層引き立たせている。
(あれ……アデリーナ殿下は……?)
てっきり一緒に行動しているものだと思っていたアデリーナの姿がそこにはなく、ユリアンは同僚と思しき男性たちに囲まれていた。笑顔が垣間見えるあたり、いつも真面目な彼にしては珍しく、気安い空気が流れているようだ。
会場の視線は皆彼に向いていて、姿を現したツェツィーリエに気づく者は誰もいない。それなのにユリアンの琥珀色の双眸は、真反対にいるツェツィーリエをすぐに捉えた。
“ツェツィーリエ”
離れているから聞こえなかったが、形のいい唇は、確かにツェツィーリエの名を紡いだように見えた。
ユリアンは周りに断りもせず、ツェツィーリエに向かって小走りでやってきた。
「どちらにいらしたのですか?」
自分を探してくれていたのだろうか。いや、まさか。だって彼はさっきまでアデリーナと共に過ごしていたのだから。
「申し訳ありません。少し着崩れてしまって、パウダールームへ寄っていました」
「そうでしたか……あの……」
ユリアンはツェツィーリエを上から下まで見ると、なにか言いかけて口元に手をあてた。
「なんでしょう?」
だがユリアンは困ったように視線を泳がせるだけでなにも言わない。微妙な雰囲気の二人に人々の好奇の目が向けられている。こういった場に夫婦で出席するのは随分久しぶりだ。これ以上ぎこちない夫婦関係を見せ続けるのはさすがに憚られた。
ツェツィーリエは咄嗟に笑顔を作り、口を開いた。
「旦那様、今夜はとても素敵です。探さなくても皆さまの視線でどちらにいらっしゃるのかすぐにわかりました」
すると泳いでいたユリアンの目は一転、眉根を寄せて険しく見開かれた。
「……は……え……?」
(なに?私、そんな変なことを言ったかしら?)
ツェツィーリエは夫を褒めただけ。新婚夫婦ならもっと熱い言葉をかけてもいいくらいなのだが、そこは弁えている。
ユリアンが不快にならない程度に、周りにも不仲と捉えられないよう控えめにしたのだが、その反応はなんなのだ。
さすがに五歳年上のツェツィーリエも、年下夫の不可解な反応に戸惑った。
「うそ……お前、奥方に対していつもそんな感じなの?」
ぶふっ、と笑いを堪えるようにして声をかけてきたのは、さっきまでユリアンの周囲にいた男性だった。
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