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 (この方は……)  幾分軽薄そうな金髪碧眼のこの青年には見覚えがある。  「結婚式に出席していただきましたね……その節はありがとうございました、クラウス様」  口からすんなりと名前が出てきてくれてほっとした。  青年の表情を見る限り、名前も間違ってはいなさそうだ。確かクラウスは副団長を務めるユリアンの補佐をしているのだと式の時に聞いた。  形式張った場でないせいか、以前会った時と雰囲気が違う。  「名前を覚えていてくださったなんて光栄です。それにしてもなんてお美しいのか!まるで湖面に佇む白鷺のように凛としていてたおやかだ。我ら騎士団が誇る無敵の副団長が骨抜きにされるのも納得です」  「まあ……とってもお上手ですのね」  クラウスは見た目からしてユリアンよりもだいぶ年上だ。  女性に好まれそうな容姿だし、色々と経験豊富なのだろう。淀みなく紡がれる美辞麗句がその証拠だ。  「いえいえ、本当のことですよ。それなのにこんな美しい奥方を自慢するどころか他の男に見られないよう屋敷の奥に隠してしまって……まったくこの堅物ときたら、狭量な男は嫌われるってことがまるでわかっちゃいない。夫なら時に妻の火遊びだって見てみぬふりをしなければ」  「クラウスお前、死にたいのか」  ギロリ、と射抜かれそうな眼光がクラウスに向けられた。  「じ、冗談じゃないか、はは……ほら、奥方も驚いてるぞ?せっかく無駄に綺麗な顔してんだから笑って笑って、な?」  夫の口から出た初めて聞く物騒な言葉に目を丸くするツェツィーリエ。  それに気づいたユリアンは、恐ろしい形相から一転気まずそうな顔をして目を逸らし、俯いた。  クラウスは残念なものを見るような目をユリアンに向けたあと、ぽんぽんと背中を叩いてため息をつく。  「ほら、奥方になにか飲み物でも持って来いよ。まだなにも飲まれてないのでしょう?」  「え、ええ。ですが……」  夫を使うなんてもってのほか。ツェツィーリエはそう思っていたのだが、ユリアンは別のことが気になったようだ。  「あの……ツェツィーリエ、好きな飲み物は……?」  「お前!奥方の好む飲み物も知らないのか!?」  クラウスが叫んだ瞬間ユリアンの肘が彼のみぞおちにめり込んだ。  確かみぞおちとは人間の急所の一つではなかったか。  クラウスの額からは変な汗が噴き出している。このような場合、妻としてどう対応するのが正解なのか。  「あ、あの……旦那様?」  「アルコールがいいですか?それとも果実水?」  いやそんなことよりクラウスは大丈夫なのか。しかしユリアンの視界には、まったくと言っていいほどクラウスは入っていない。  あまりに真っ直ぐこちらを見つめてくるものだから、ツェツィーリエもついクラウスのことは後回しにして答えた。  「あの……旦那様と同じものを……」  「ではワインにしましょう。待っていてください」  脂汗の引かぬクラウスを振り返りもせず、ユリアンはグラスが並べられているテーブルへ向かった。  「あのクラウス様、旦那様が申し訳ありませんでした」  「いやいや、これくらいはいつものことなんで気にしませんよ」  「いつものこと?これがですか?」  「ええ、これくらいで済めばいいほうです 。あいつ、年は若いけど強さは本物ですからね」  「旦那様はそんなにお強いのですね……私はそういうお姿を見たことがないので……」  結婚前、彼のことを知りたくて騎士団の見学を申し出たこともあったのだが、断られた。  ツェツィーリエは妻なのに、誰もが知るような噂でしか彼のことを知らないのだ。  きっと、ツェツィーリエのことが恥ずかしいのだろう。未亡人で、五歳も年上の妻のことが。  それをよくわかっているから、極力ツェツィーリエも屋敷から出ないようにしていた。  「なんか拗らせてますねぇ……。俺も命が惜しいのであまりどうこう言えないですが、ユリアンは悪い奴じゃありませんよ。どっちかと言えば馬鹿正直なタイプだ」  「ええ、わかります」  正直な人だから、自分の気持ちに嘘をつくのはつらいはず。  本当は愛する人と生きていきたいはずだ。  けれど、ツェツィーリエにはなにもしてやることができない。離縁だって、ツェツィーリエの意思だけでできるほど簡単なものではない。  けれどもいつの日か、彼が自分の本当の気持ちと向き合った時  (その時は感謝だけを残して、私から手を放してあげなければ)  ツェツィーリエは胸に手をあてて、自分に言い聞かせた。      
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