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「──もうすぐだ」
木々の透き間にちらりと覗く青を見上げて、男が少女の手を引いた。
「……本当にこの先に子供たちがおるんか?」
「嘘をついてどうする。人を喰い殺したことなどない。哀れな子たちを救ってやるのが山の神の務めだろう」
生贄にされた子供たちは、みな山頂にある古寺に預けられるのだという。時にはその子供のことを諦め切れず、あの社を訪れてくる母親や兄弟や乳母もいるらしい。そういう者には子供を返し、村から逃げる手助けをしてやるのだと。
はじめから逃がすつもりだったなら、あの取引は必要なかったのではないかと、少女は朝からぷりぷり怒っている。
「──あ、おにいちゃん!」
きゃーきゃーと駆け回っていた子供のひとりが、男に気づいて手を振った。年齢も捨てられた理由もばらばらな子供たちが、少女の周りにも群がってくる。
「おねーさんも、いけにえ?」
「んーん、おねえさんみたいなキレイなひと、いけにえとちがう! みどりさんの、こいびと!」
「あいびき!」
「はれんち!」
「どこでそんな言葉を覚えたんだお前たちは……」
ひとりの頭を手のひらで撫でてやりながら、蔓は自在に伸びて子供たちの頬や額をぺちぺちと叩き、優しく撫でる。くすぐったそうに笑い合う子供たちを見て、少女はなんだかまた泣きそうになった。失われていたかもしれない、愛しい、小さな命たち。
「おねえさん、おなまえはー?」
「あー……椿」
気恥ずかしそうに少女ははにかんだ。男が新しい名をくれたのだった。
椿に寺を案内しようとする子供たちを制して、男──翠は椿を引き寄せた。
「見せたいものがある。お前たちはついてくるなよ」
「うぇー、ケチじゃ!」
「ええなぁ、おらも見に行きたい!」
「つばきねえちゃん、またあそんでなー!」
子供たちに手を振って別れる。連れて来られたのは、村を見下ろせる見晴らしのいい場所だった。
「心配せんでも、村に帰ろうとは思っとらん」
「そういうことじゃない。目を開けて、ちゃんと見ろ」
翠が蔓の先で指した、村を取り囲む山のひとつ。その斜面が、木々の塊ごと揺れ動き、村に向かって真っすぐに滑り落ちていった。
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