浮ついた気持ち

4/6

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 ある日、僕はジャズが流れる上品なバーで出会った女を抱いた。その女をベッドに誘うのはとても簡単なことだった。僕は人肌に触れることを求めていたし、女は男の太い腕に抱かれることを求めていた。そこにためらいも遠慮も躊躇もなかった。  女はおそらく僕よりも年下だった。人目を惹く金色の髪の毛をしていて、その毛先は意志があることを主張するようにカールしている。耳には楕円形の大きなピアスをつけていて、妖艶さに磨きがかかるようなピンク色の唇をしていた。僕の彼女だった女性とは違うタイプだったけれど、細い身体に浮き上がるような豊かな乳房は僕を十分に硬くさせた。  行為が終わった後、僕は女に向かって自分の彼女が浮気していたことを打ち明けた。僕はこの話を誰にもしたことはなかったけれど、この女に対して話をすることはとても自然な成り行きの事のように思えたのだ。 「その彼女さんに浮気するような傾向はあったの?」  僕の話を一通り聞いた後、女は自分の手のネイルを注意深く点検しながら言った。 「ないと思う。少なくともこれまではなかったな」 「それって本当によく考えた? 女の人がそういうことをする時って、サインみたいなものを出しておくと思うんだけどね。そういうことをする前に」  僕は彼女と交わした会話を記憶の中から洗い出して、そこに隠れたサインがなかったか慎重に検討してみた。(そこには細心の注意を払う必要があった) 「私も今日はね、そういうサインを出してきたの。本当にこのままあたしを行かせていいのかって」 「じゃあ、君が出したサインに彼氏は気付かなかったわけだ」 「そういうことになるね」  女は特に残念がる様子もなく平然と言った。女はまだ自分のネイルを見続けていた。 「具体的にはどういうサインを出してきたんだろう?」 「それはプライベートなことだし言えない。それに、あたしに聞いたってあなたの参考にはならないよ。女は100の嘘を使い分けるし、100のサインを持ってるの。たった一つを知ったところであなたの彼女さんは戻ってこないよ」  僕は彼女の100の嘘と100のサインを頭の中に思い浮かべていたが、どちらも7個目あたりで考えるのをやめた。これ以上考え続けていたら朝日が昇ってしまう。 「7個も気づけたなら上出来だと思う」と女は僕の顔を見て驚いたように言った。「普通の人だったら多分3個くらいで諦めて、投げ出すところだもん。きっとあなたは本当にその彼女さんの事が好きだったんだね」  僕は彼女の言ったことを認めないわけにはいかなかった。しかしそれに対してうまい言葉が見つからず、僕はしばらくの間じっと虚空を見つめていた。そこに適した言葉が転がっていないか探し求めるように。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加