7月19日

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7月19日

ぴかぴかに磨かれたカクテルグラスを王座に君臨するのは、乳白色のスイーツだ。 火照った身体を冷ますように、口の中でなめらかに溶けていく。ほのかな甘さとみずみずしさは、原材料の果実そのもの。 美化されていくはずの記憶と寸分の狂いもない、祖母お手製の桃のジェラートだ。 亡き祖父のふるさとから桃が送られてこない限りありつけないこの味は、毎年庭仕事を手伝いに来る私でも、7年ぶりのごちそうである。 「今年は成育が順調なんですって」 「へえ」 去年の夏みかんゼリーも、一昨年の冷凍いちごのシェイクも絶品だったが、今年は格別である。 ほんの2時間前まで少女のように虫と格闘していた祖母は、刺繍のワンピースを着こなした上品なマダムに戻った。 玄関のチャイムに立ち上がろうとする祖母を制して、立ち上がる。 「ノアちゃん、お客さんなら入ってもらってね」 夫を亡くし、子どもを独立させた祖母は、孤独と戦っていた。家を訪ねてきたご近所や宅配業者に手作りスイーツを振る舞うのを、生きがいとしている。今ではお菓子目当てに来る客の方が多いのだが、防犯の観点から子ども達は喜んでいない。 返事を曖昧にして、玄関の鍵を開けた。 「あらキョウちゃん、久しぶりね!」 仕事中の宅配業者なら、残りのジェラートも独り占めできたのに。食い意地の張った私は、祖母の歓声にがっかりした。 「前を通ったら草の入った袋が出てたから、何か手伝えるかと思って」 確かに「キョウちゃん」と呼ばれた男は、小麦色の肌にカッターシャツをまとっている。高校生にしては細く小さいから、中学生かもしれない。 「ありがとう。でもこの夏は大丈夫よ。孫が手伝ってくれたもの」 「まご」と小さく呟く声に、目線を上げた。くりくりの瞳に、すっとした鼻筋。小さい唇と火照った頬は、少女のようだった。汗に濡れた前髪が、額にぴったりと張り付いている。 この子、知ってる。直感したが最後、するすると記憶の紐がほどけていくのがわかった。 当時中学3年生だった私は、受験勉強から逃げるのを目的に、初めて1人で祖母の家を訪ねた。 庭掃除に模様替えといいように使われてしまったが、後に出てきた桃のジェラートが全てをチャラにした。大人の話についていけない私は1人、黙々とスイーツを減らしていたのだ。 そんな私だったから、お喋りの最中に鳴ったチャイムにも気づけた。 「はーい」 少し背伸びをしてドアを開けたのに拍子抜けしてしまったのは、立っていたのが幼稚園児1人だけだったからだ。 黒のリボンがついた白い帽子も、黒線の入ったセーラー服も、かもめの水兵さん顔負けの衣装だった。 私立の幼稚園だとわかると、急に不安になった。辺りを見渡しても母親らしき姿はないが、猛暑のせいで真っ赤になった顔は心配だった。 「美味しいおやつあるけど、食べる?」 まるで不審者になった気分だった。大きな瞳で力強く頷かれてしまうといたたまれなくなって、急いで玄関のドアを閉めた。 まっさらなタオルで顔の汗を拭ってあげてから、ジェラートを食べて、2人で遊んでいたのだ。絵を描いて歌って、本を読んだ。3冊目の途中で眠ってしまった子どもをおぶったのは、よく似た顔をした母親だった。美人はいいな、なんて心の中で思ったのだった。 「ノアちゃん」 呼ばれて我に返ったとは思われたくないので、タオルを持ってきてあげてというお願いに素直に頷く。 あとは、緊張の面持ちをいかに隠すか。 だって、女の子と思ってたし...!! くだらない思案ばかりしていた私には、奥で少年がどんな顔をしているかなんて知る由もなかった。 やまなしももの日
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