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7月22日
いやいや、なんで隠れるんだ。今夜あの子と待ち合わせているのは、自分なのに。
駅前、時計台の裏側。近づいてくる男女の声に、ゆっくり息を吐いた。
毎年行われる、県内随一の花火大会。駅前には、夏の装いをした人であふれかえっていた。中でも、競い合うように浴衣で飾り立てた女性達は華やかだった。女性同士で笑い合っていたり、男性を伴っていたり。着る機会を逃しそうな浴衣も、ここなら無駄にならないと思った。もう既に、効力を発揮している。
「先輩は、彼女さんと待ち合わせですか?」
「いや。浴衣で行きたいって言うから合わせてレンタルを取ったのに、熱出したってさ」
「へえ。お大事に」
苦しそうに声を絞り出したのは、表情を見なくてもわかった。
「それで男友達の仲間に入れてもらったんだけど、絶対ネタにされる」
「でも、それ狙って浴衣で来たんじゃないですか」
打って変わって、笑いを堪える楽しそうな声。ここまで表情豊かにあの子が話すのは、あの人だけだった。
好きじゃなかったなんて、絶対うそだ。
たとえ本人が否定しても、自分なら保証できた。
「なんなら黒木も来るか?お前のこと話したら、気になるってやつがいてさ」
いいやつだから。俺が保証する。
しゃがみたくなるのを堪えて、色あせたスニーカーの爪先をじっと見つめた。
――あんたの保証なんか、大したことないよ。あの子の気持ちにずっと前から気付いているくせに、知らないフリをしている。そんなのが優しさなんて、絶対に認めない。
「いや、私は約束があるので」
「え、彼氏?」
女性が何と答えたのか、聞き取れなかった。駅のアナウンスが、外まで響いてきたのだ。
帰宅時間をずらすように。迷子のお知らせ。どれも関係がないのに、耳はそちらの音を優先して聞き分けた。
知りたくなかったのか。どうせ、「友達」と言われるに決まっているのに。
単に集中力が持たなかったのかもしれない。あの子が約束を優先してくれたことに、安心してしまった。
からん
「もー、来てるんなら言ってよ」
街光に照らされた彼女に、思わず息を呑んだ。
黒い浴衣は白い肌を強調して、右脚に描かれた大きな金魚はシンプルに季節を表している。下駄の鼻緒は、金魚に合わせての赤色なのか。前髪を留めたシルバーの髪飾りは大ぶりだが、艶のある短い髪によく映えていた。
「お前、ほんとに滝澤先輩のこと嫌いだよな」
「そうかなあ」
歩幅を短めにとって、隣を歩く。
そこまで気付いているのなら、全て暴いて欲しい。
――いや、うそ。
知らなくていい。気付かなくていい。きみに「優しさ」を向けられたら、今度こそ立ち直れない気がするから。
下駄の日
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