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こんな夜になってから、まさかお化け屋敷に来るだなんて思ってもいなかった。
夜とはいってもまだ10時前だから、そんなには遅くはないが、三十路オメガの義隆にしてはもう遅い時間だ。なにしろ生粋のお坊ちゃんだし、三十路だし、そろそろ三ヶ月に一度の発情期も控えている。色々あって体がだるい上に眠たい。
足元を照らすLEDの懐中電灯の光は、直線的で白く冷たい。
それに照らし出されるお化け屋敷の内部は、まだ公開前だからひっそりと静まり返っていた。日中、役員にプレゼントして公開された時は、営業の担当がついてのデモストレーションで、あちこちから中年の低い悲鳴が上がっていたものだった。
しかし、いまは人気ひとけもなくひっそりと静まり返り、義隆と木崎の靴音だけが響き渡る。
そもそも、なんだてっこうなったかと言うと、義隆のせいである。
日中に、役員ではないけれど、父親である社長の代わりに秘書の木崎とここを訪れたからだ。別に心臓に疾患があるわけでもなく、そこまで年寄りでもないくせに、父親は義隆に代理出席を言ってきたのだ。
「若い方がこう言ったものは理解できるだろう?」
そんなことを言われたけれど、義隆だってもう三十代だ。スリルを求めるような年頃ではない。けれど、一応は跡取り息子として参加したのだ。一族の他の若手は子どもを連れてきていたり、学生服を着たまま参加しているものもいた。後日一般人からのβテストが行われるとは聞かされたけれど、今日の参加者はグループの役員とその子どもたちだった。
刺激を求めるような生き方をしてこなかった義隆は、木崎を伴って案内を受けたけれど、この手のものが初体験だったので、必要以上に騒いでしまったのだ。
もちろん、プレゼンを受けるのだから、なにかしらメモを取るつもりだったのに、全く取れていなかった。代わりに、木崎が義隆の反応を事細かに記していたようだった。
学生服を着ていた子どもたちからの感想は、親経由で届けられることとなり、義隆たち役員(代理含む)はそのまま金銭面などの説明や資料を見せられてから帰路に着いたのだった。
そして、代理出席したから、父親に報告をしている時に気がついた。木崎の報告書にサインをしようとした時、いつも胸ポケットに入れていた万年筆がないことに。
「あれ?どこかに落としたのか?」
胸ポケットを上から叩いてみたけれど、それらしいものの手触りはない。ズボンのポケットに両手を突っ込んでみるけれど、やはりない。
「どうかなさいましたか?」
自分の体をパタパタと叩く義隆をみて、木崎が尋ねた。
「ペンがない」
「こちらをどうぞ」
当たり前のように木崎に差し出されたペンを受け取って署名をすると、木崎は書類をまとめて第一秘書の寺山に渡した。寺山は、事前に届いていた資料と照らし合わせ、何回か頷くとそれらを持って社長室へと行ってしまった。

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