三十 側室にはなりません

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三十 側室にはなりません

 卯月。  参勤交代で藩主が水上に戻ってきたことを咲乃が聞いたのは、先月の終わり、柔らかだった木々の緑が色濃くなってきた頃だった。もう完全に側室候補から外れている咲乃の日常は、藩主が国に居てもいなくても変わることは何もなくて、そのことにホッとしているのが正直なところだ。  暖かな日差しが気持ちの良いうららかな午後、縁側で和虎の新しい着物を縫っていると、女の話し声がして裏木戸が開く音がした。  律さまのお客さまがお帰りになるのだわ、と咲乃は手を止めて何気なく庭に目をやった。  がさっと木の葉が揺れ、ヤマボウシの木陰に隠れていた雀が地面に降りてきて、チュンチュンと鳴きながら可愛らしく飛び跳ねた。  屋敷の離れには、律に病を診てもらおうと武家の奥方が密かに訪ねてくることがある。そんな時は、律から呼ばれない限り家人は寄り付かない。  しかし顔馴染みになって堂々と訪ねてくる患者や、律の人柄を好んでただ茶菓子を持って遊びにくる客も増えて、咲乃も呼ばれて離れで談笑することもある。和虎の屋敷に来てからまるまる一年を超え、武家の暮らしにもすっかり馴染んでいた。
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