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北別屋敷
本日昼下に北大都の暁士の屋敷に着いた。
前夜には玲邦という町の宿で、旅の最後の睦言ぞなどと言って楽しんだわけだが、かくも近い町だったとは。速足程度の馬で一刻とかからぬ。
故郷と西中都しか知らぬ廼宇には悟りようもなかったわけだが、明らかにその日のうちに屋敷に着けたものを、一泊おまけで楽しんでいた。なるほど元怜の若い眉間に、相応しからぬ皺が常駐したにも合点がいく。
俺と行くのは厳しい道だ、などとあれほど脅していた暁士の頭の中ときたら全く色欲ばかりに思われる。
「……まあ、厳しい道だ、とは言ったけれどな。普通の職があるから、まずはそこからだ。しかも廼宇のお得意な仕事だぞ」
「それは、どのような」
「布地屋だ。何度も言ったろう。俺は布地屋だと」
忘れていた。……わけでも、ないが。俺が死体を切る、などという怪しげな言まで耳にしては、平和な職など「眉唾」の印を押して頭の隅に追いやっていた。
「……それはまた、懐かしいお話で」
「やはり信じていなかったな。まあいい、早速明日からだ。昼前に玲邦の頼喜街、北の角の薫布在店へ行くのだ。緑如という男を訪ねよ。俺も後から行くが、昼下になる」
緑如。この名は知っている。
「私が六角にいた間、汎材在店で働いてくれた方ですね」
「そうだ。今、廼宇が俺と共にあることも知っている。だが、賭けだの鎖だのの事情は知らん。他の店員はといえば、更に全く何も知らん。緑如が西中都にいたとも知らぬから、そのつもりでな」
「いつか機会があれば礼を申したかったのです。では二人だけの折に致します」
北大都など、屋敷のほかには誰一人縁故のないつもりだったから、明日という日が楽しみになった。
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