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「ははあ、なるほど。姉さん、人気者だからなあ」  愉快そうな笑顔でうんうんと頷く。澤田の弁明は彼を懐柔させることができたようだ。 「でもまあ、お義兄さんに会えたからそれでいいか」  でもまあって……それでいいかって……。  心中で項垂れる澤田だが、しかし予想していたことではあった。  澤田に対して丁寧に接している悠李だが、丁寧なだけなのである。どう聞いたところで社交辞令の感が否めない。  どこか形式的で、よそよそしい雰囲気がある。  それはひとえに悠李の性癖にあると、澤田は考えている。 「とりあえず、立ち話も何だから上がりなよ」  もちろん、上がらせたくはない。死体のある家に人を招き入れるなんてどうかしている。いや、人を殺すほうがどうかしているが、とにかく軽々に悠李を追い返すことはできなかった。  悠李を玄関から追い出し、鍵をかけるのは悪手だ。それは悠李に違和感を与えかねない。勘のいい悠李のことだ、具合が悪いなんて言い分はまかり通らないだろう。  それに、もしかしたら彼自身がお邪魔するのを断る可能性だってある――そんな一縷の望みに賭けるしかない。 「ありがとうございます。上がらせていただきます」  言うが早いか、悠李は靴を脱いで廊下に踏み入った。  期待は空振りだった。 「ああ、それを持つよ」  気を取り直して(そもそも恋人を殺害した件の気は取り戻せていないけれど)脇を過ぎようとする悠李に、澤田は呼びかける。  澤田が持とうとしているのはキャリーケースだった。悠李はリュックだけでなく、折り畳めば大人ひとりは入りそうな大きさのそれを携えていた――奇抜なたとえで規格を説明したのは、ひとえに澤田が自身のキャリーケースで麻里佳をそうしようとしたからにほかならない。  澤田からの気遣いに対し、しかし悠李は「いえ、大丈夫です。仕事明けの人のお手を煩わせませんよ」と遠慮する。  悠李の歩行に連動してキャリーケースも移動する。ごろごろと、車輪が回転するたびに駆動音がフローリングに響く。  しかし、その音はどうも軽やかだった。旅行の準備でキャリーケースを引っ張り出したときと酷似した、まるで中身が入っていない軽快さだ。  澤田はそれ以上は気に留めず、悠李の背後をついていく。廊下にはトイレや物置がある。さすがにそれらには立ち寄らず、まっすぐリビングへと向かった。
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