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   大陸食堂と書かれた暖簾をくぐると、あちこちから声がかかる。 「おや先生。連れがいるの珍しい、親戚の子?」 「まあな」 「熊猪先生仕事してんのかい?」 「毎日大忙しや」 「こんなとこの飯食ってるようじゃ、まだまだだけどね」  真っ黒に日焼けして前歯のないやっさんが、いたずらっ子のように笑う。 「店がつぶれたらいかんから、わざわざ食いに来てやってるんや」  そう返して奥のテーブル席に少年と二人で座る。 「えーと名前なん言うんや。吉川……」  胸の名札を指で挟む。 「吉川渚」 「海の『渚』か?」  こくりと頷く。 「渚は何でも食えるんか?」 「うん」 「ここはラーメンと餃子以外食えんからそれでええな」 「そんなこと言っていいの?」 「かまんかまん」  そのタイミングで大将がテーブルに水を置く。 「いらっしゃい。うちは何でも美味しいでしょ、先生」  大将がわずかに顔をひきつらせて言う。 「中華だけにしときゃ旨いのに何でわざわざ和食出すんかな」 「郷に入っては郷に従え言うでしょ。定食あるから皆うちに来る。先生のお口に合わないの残念」  二つずつな、と言うと厨房に引っ込んだ。 「李さん中国でコックしてたんやけど日本に来たんや。俺には味付けがちょっと濃い」 「みんなが先生って……」 「ああ。大阪で新聞記者やっじょって東京の本社に転勤できた。色々あって辞めてからは雑誌で記事任されてな。それがおもろい言うけん本にしたらバカ売れして、そっから小説も書くようになった」 「えっ凄いね!」  渚が目を真ん丸にして豪介を見る。 「おっ、ほんまか?嬉しいなー。ここにおったらそんなん誰も言うてくれん」 「だから大阪弁なんだね。学校の先生と同じ」  それで豪介の方言が伝わっていたのかと納得した。 「あーまあ大阪弁も入っとるけど俺は四国出身や。おとんは讃岐弁でおかんは呉の出やったし、仕事であちこち住んだ。もう自分が何弁喋っとるかわからんけん編集部によう怒られる。……中学生なら地図は頭に入っとるな?」  返事をしないのは地理が得意ではないからだろう。ならばとコップの底の水を指につけて日本地図を描く。 「ここのオーストラリアみたいなんのワニみたいなとこ。この上の瀬戸内の島育ちや」 「ワニより犬みたい」  向かいから見ていた渚は首を傾げた。 「犬?ワニやろ」 「……ここが頭でー」 「ああ、そうか」  話しているうちにラーメンと餃子が運ばれてきて、豪介は渚に割りばしを渡した。 「いただきます」  手を合わせて飛び付くように麺をすすり目を輝かせる。 「おいしい!」 「そやろ、よーけ食え」  よほどお腹が空いていたらしく、渚は顔を丼に突っ込むようにして食べている。豪介も箸を割り食べ始めた。 「ああー、お腹がおきた」  先に食べ終えた豪介の言葉に渚が顔を上げた。 「なに?」 「腹一杯になったってことや」 「へえー。お腹へってる時は寝てたって言う?」  今朝剃りそびれて、少し伸びたあごひげを触り考える。 「言わんな、そんなん聞かれたんはじめてや」  ふうんと言って渚は最後の餃子を口に入れた。  
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