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3
大陸食堂と書かれた暖簾をくぐると、あちこちから声がかかる。
「おや先生。連れがいるの珍しい、親戚の子?」
「まあな」
「熊猪先生仕事してんのかい?」
「毎日大忙しや」
「こんなとこの飯食ってるようじゃ、まだまだだけどね」
真っ黒に日焼けして前歯のないやっさんが、いたずらっ子のように笑う。
「店がつぶれたらいかんから、わざわざ食いに来てやってるんや」
そう返して奥のテーブル席に少年と二人で座る。
「えーと名前なん言うんや。吉川……」
胸の名札を指で挟む。
「吉川渚」
「海の『渚』か?」
こくりと頷く。
「渚は何でも食えるんか?」
「うん」
「ここはラーメンと餃子以外食えんからそれでええな」
「そんなこと言っていいの?」
「かまんかまん」
そのタイミングで大将がテーブルに水を置く。
「いらっしゃい。うちは何でも美味しいでしょ、先生」
大将がわずかに顔をひきつらせて言う。
「中華だけにしときゃ旨いのに何でわざわざ和食出すんかな」
「郷に入っては郷に従え言うでしょ。定食あるから皆うちに来る。先生のお口に合わないの残念」
二つずつな、と言うと厨房に引っ込んだ。
「李さん中国でコックしてたんやけど日本に来たんや。俺には味付けがちょっと濃い」
「みんなが先生って……」
「ああ。大阪で新聞記者やっじょって東京の本社に転勤できた。色々あって辞めてからは雑誌で記事任されてな。それがおもろい言うけん本にしたらバカ売れして、そっから小説も書くようになった」
「えっ凄いね!」
渚が目を真ん丸にして豪介を見る。
「おっ、ほんまか?嬉しいなー。ここにおったらそんなん誰も言うてくれん」
「だから大阪弁なんだね。学校の先生と同じ」
それで豪介の方言が伝わっていたのかと納得した。
「あーまあ大阪弁も入っとるけど俺は四国出身や。おとんは讃岐弁でおかんは呉の出やったし、仕事であちこち住んだ。もう自分が何弁喋っとるかわからんけん編集部によう怒られる。……中学生なら地図は頭に入っとるな?」
返事をしないのは地理が得意ではないからだろう。ならばとコップの底の水を指につけて日本地図を描く。
「ここのオーストラリアみたいなんのワニみたいなとこ。この上の瀬戸内の島育ちや」
「ワニより犬みたい」
向かいから見ていた渚は首を傾げた。
「犬?ワニやろ」
「……ここが頭でー」
「ああ、そうか」
話しているうちにラーメンと餃子が運ばれてきて、豪介は渚に割りばしを渡した。
「いただきます」
手を合わせて飛び付くように麺をすすり目を輝かせる。
「おいしい!」
「そやろ、よーけ食え」
よほどお腹が空いていたらしく、渚は顔を丼に突っ込むようにして食べている。豪介も箸を割り食べ始めた。
「ああー、お腹がおきた」
先に食べ終えた豪介の言葉に渚が顔を上げた。
「なに?」
「腹一杯になったってことや」
「へえー。お腹へってる時は寝てたって言う?」
今朝剃りそびれて、少し伸びたあごひげを触り考える。
「言わんな、そんなん聞かれたんはじめてや」
ふうんと言って渚は最後の餃子を口に入れた。
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