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 妻のことがなかったら豪介は編集長を、いや新聞社ごと訴えていただろう。けれどその時は何もかもが面倒で無気力になり、もうどうでも良くなった。  元々賞賛が欲しかったわけではない。格好の良い言い方をすれば悪事が暴かれれば誰が書いてもいい。豪介の代わりにヒーローになった彼の元には次々と仕事の依頼が来たと聞いた。  ただ仕事をしないとローンの支払いが滞る。いっそ家を売って地元に帰ろうかとも思ったが、短い間でも妻との思い出がある家だ。思案していると小さな出版社から、うちで働かないかと電話が来た。 「何で俺なんですか?」  半分倉庫のような古びたビルの会社を訪ね、白い髭の社長にまず聞いた。 「お宅の新聞に面白い表現する記者さんがいて、楽しみにしてたんだよね。それが急に先月から見なくなって、いちファンとして社に問い合わせたら貴方が書いてて会社辞めたって言うじゃない。じゃあうちで働かないかなって」 「はあ、まあ食ってかなきゃいけないんでそれはありがたいですが。よく連絡先が分かりましたね」 「政治家の大きい事件あったでしょ、読んだら切り口や、文章の端々に貴方らしさが滲んでて。お宅の社長に聞いたらやっぱり」  社長の言う「豪介らしい」と言うのは標準語で書いたつもりが、方言が混じっていたのだろう。デスクがそれを書き換える間もなく世に出したのは急いだからなのか、記者としてギリギリまで悩んでいたのか……。 「社長とお知り合いなんですか?」 「うん、幼馴染み。お互い祖父の代からの会社。あっちは大きな新聞社の社長さんで、こっちは潰れそうな出版社の社長だけどね。うちならその分自由に書けるよ」 「はあ……」 「あ、いいんだね?じゃあ今日からお願い。原稿落ちちゃって大変なんだ」 「今日からですか?」 「うん、今からお願いね」  それが縁で色々書くようになった。テーマも自分で決めて取材し、時にはカメラマンの真似事もする。雑誌自体はファンもいて、売れていないこともないが大手に比べると宣伝費をかけられないのが実情だ。  あるとき連載を頼んでいた作家が不倫スキャンダルで国外に逃亡した。穴埋めと言うには随分ページがある。新聞記者時代に、取材しても使われないネタや記事にしても面白くないネタが豊富にあったことを思い出した。豪介はそれらを大げさに脚色して、ストーリー仕立てにして毎号書いた。  すると読んでいない号を読みたいと在庫切れになり、本にして出したら飛ぶように売れたのだ。
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