1章 日常

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1章 日常

このまま何もしなければ、何も変わらないことはよくわかってる。 けど変わろうとしたところで何も変わらないまま、時間だけが過ぎていくのだと思う。 その中で起こるいいことや嫌なこと、多分嫌なことの方が多いと思うけどそれも全て含めて人生らしい。 なら僕はこの先70年近くも生きたくない。人生100年時代?ごめんすぎる。 色々あった上でそうやって人生が続くなら、それを幸せとかいうなら別に長生きしたくない。 今座ってるこの窓際席は、僕が席替えのくじで引き当てたもので普通は特等席である。 それは授業中でも外を見ればぼーっとできるし、窓を開ければ風がすーっと入って気持ちいいし、アニメの主人公だって大体窓際席にいる。そんな特等席なはず。 でも今の季節はそれが十分活かされない。 先月の14日に行った席替えは丁度梅雨ドンピシャだった。 このクラスは日直が一周回り終わるタイミング、大体1か月ぐらいで席替えがあるから、次の席替えは一週間後の14日。今朝の天気予報を見てたら14日が梅雨開けになるだろうとか言っていたから、ほらそう考えるとやっぱりいい事なんて起きてなかった。 1週間後の席替えと梅雨明けが被った分、気分はゼロよりむしろマイナスに傾く。1か月前にこの席を引いて喜んだ僕のひそかな喜びを返してほしい。 結局この先もこういう少しの憂鬱が連続して、そのたびに軽く落ち込んでいくのだろう。 そんなんだったらやっぱり長生きなんてただの不幸だ。 窓越しから見る外は雨が降っている。 最近ずっと雨。 スッと顔をあげて黒板横の掛け時計に目をやると、15時35分ぐらいを指していた。 憂鬱な6限の現代文も今日の学校もそろそろ終わる。 教卓に教科書を置きながら、まだペチャクチャ授業をしている現代文教員の吉村にそろそろ終われと圧をかけながらじっと見る。 圧が伝わったのか、吉村はふと右手の腕時計を一瞥し声を張って言った。 「はいー。そろそろ終わる時間だなー。」 やっと終わりだ。 「というか今日七夕だけど、お前らはなんか願い事したのか」 あーあ最悪だ。吉村お得意のいつものどうでもいい雑談が始まった。 この雑談のせいで毎回2分ぐらい授業が延長する。 「そうだな。例えば三屋とか、お前何お願いしたんだ?」 毎度おなじみ吉村お気に入りの三屋晴樹が指名された。 「アメリカとかの大統領になって、そんで勢いで世界救って、美女に囲まれて金持ちになりたいってお願いしましたね」 相変わらずつまらない。 でもこんな調子の良い三屋にクラス全体は少しざわつきながら笑う。 吉村も笑っている。 あぁまたいつものように嫌悪感を覚える。 なんとなくいいクラスを演じてるみたいで気持ち悪い。 こんな卑劣な考えになる自分もいつも気持ち悪い。 「いやーそれにしても、今日はこの調子じゃ織り姫と彦星は出逢えないから残念だなぁ」 吉村はそう言って窓越しに降る雨に目をやった。 雨のザァーという音が教室に響いている。 「1年に一回しか逢えないってのも、中々酷な話だよなぁ」 吉村の独り言なのかクラスに語りかけているのかわからない口調は、授業時間を伸ばし続けている。早く終わってほしい。 「でもさ先生ー」 また三屋だ。 「織姫も彦星も、全然逢えない状況が続いたら普通別れるでしょ?なんでこいつら、また1年に1回逢おうーって思ってのんかな」 たっぷりの自信が含まれた張りのある声。 吉村は少しにやけて笑って言った。 「まあ、あくまで神話だから」 クラス全体に、またざわざわッと笑いが響いた。 「はい、じゃあ終わりー。少し長くなったけど」 やっと現代文が終わった。 教室の扉前で待っていた担任の加藤が、吉村と互いに軽く会釈をして行き違いで入ってきた。 着くや否や連絡事項を話す加藤は、少し急ぎ目で話している。 「はい。では急ぎめになったけど、まあ連絡事項は黒板に書いてあるから。おい傘忘れるなよー。はい、じゃあさよなら」 加藤が号令をかけると丁度に学校に帰りのチャイムが響いた。 やっと今日も学校が終わった。 それも束の間、すぐに他クラスの生徒などが入ってきて次第に教室が入り乱れ始めた。 教室が沢山の人間の会話の雑音で充たされて気分が悪くなる前に、僕はいつも教室を出ることにしている。 机横にあるナイキのバッグに教科書を詰めた。あとは帰るだけ。 「え〜」 後ろで三屋の声がする。 「え〜。もう帰りかよ。相変わらずやることないのは羨ましいなぁ」 振り返ると、三屋ら4人がこっちを見て笑っている。 あー…まただ。 ハハっと調子の良い声を出す。顔もなるべく笑顔で。大丈夫、これはいじめじゃない。 その時、ふと教卓にいる加藤がこちらを見ていることに気づいた。 僕が彼を見れば、彼はスッと視線を外した。 これも…まただ。 三屋らに軽めの変な会釈をして、逃げるように教室を出た。 階段を降りてく間にも動悸が止まらない。心臓の鼓動がうるさい。 吐きそうになるのを抑えてなんとか下駄箱につき、靴を取り外に出た。 …やってしまった。傘を教室に忘れた。でも今更、あいつらがいる教室にまた戻る勇気はない。 しかしこうなると、この後のバイトはずぶ濡れで行かなければならない。 ああ情けない、本当に。 どうせ仕方ないから、頭上にバッグを掲げ傘変わりにして駅に急いだ。 今日は朝から雨が降っていたから、傘を指してない人間はどこを見ても僕だけだった。 さっきの動悸が残っていて、若干嗚咽しながら小走りで急ぐ。 情けないけど仕方ない。僕は結局ああいうクラスカースト上位にいる人間に対して、笑うことしかできない。何か馬鹿にされても何か言い返す勇気もない。だからあういう少しの虐げでも、それは積もり積もって自尊心を壊していく。朝起床した時から、動悸や吐き気がして自分が嫌になる。 なんであいつらなんかがって何回思ったか。 でもいつからか、結局自分が悪いと思うようになった。 最寄りの高井駅に着く。 駅の電光掲示板横の時計は、16時を指していた。 結局バッグは何の役にも立たず髪も制服もずぶ濡れになった。 このままバイトに行くのは気が滅入る。本当に色々な気持ちでやりきれなくなりそうなのを我慢して、改札に入る。 こういうのが人生だから、というその言葉はやっぱり大嫌いだ。 ホームで待つ人達の群れに避けられるように、一人ずぶ濡れの僕。 電車で座ることは当然できないから、立ってることになる。 「間もなく、2番線ホームに各駅停車…」 気づいたらもう動悸もなんとか落ち着いてきた。 なるべく周りに迷惑をかけないように、電車を待つ列の一番後ろに並び直した。
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