2章 出会い

1/1
前へ
/11ページ
次へ

2章 出会い

駅の電光掲示版横の時計は20時10分を指していた。 平日夜の駅ホームは相変らずの人でごった返し、電車を待つ列がいくつもできあがっている。 さっきまでの雨は嘘のように止んで、空は曇りが晴れ、星が見えるまでとなった。 雨でずぶ濡れになった髪は、今は乾いているが湿っぽい。バイトでは交友関係なんてないから、ずぶ濡れである事を特に誰かに触れられるわけでもなかったが、同じキッチンで働く他校の女子高生には、なんとなく冷ややかな目で見られた。 「間もなく2番線ホーム電車が参ります。危ないですので…」 ゴオオと音を立てて来る電車。 人でごった返す夏前の駅ホーム独特の匂いは、相変わらず好きになれない。できるならタクシーを使いたい。 電車が止まり人が一斉に動き始める。乗り込んでみると車内は案外空いていた。 多分後方車両だったのが正解だった。けど座れる席がない。 吊革を掴み車内を横目で一瞥した。 どうせないと思ったけど、真ん中2番目の端の席がひと席ぽかんと空いていた。 ラッキーだ。今日は行きから散々だったから、帰りだけでも座れるのはありがたい。 吸い込まれるようにあの席に歩いていく。 本当に今日は疲れた。 一席綺麗に空いている。 よし。 …ん? ふと向かいからくる人影を感じた。しかし残念。目の前の席に座るのは僕の方が早い。あっちは諦めてくれるだろう。そう思って自然に席に座る体勢に入った。 ああ、疲れ…。 「あ」 身体と身体がぶつかった気がした。顔を上げると子供みたいな顔でこちらを見る女子がいた。 なんだ…?気のせいかどこかで見たような顔。 だが気にせず瞬間的に目を逸らす。あぁ結局帰りすら座れない。 無意識に回れ右で席から離れる。 「あれ?え」 背後から声がするが気にせず手すりに寄りかかる。 こういう時に起こるいざこざは、僕が負けることでなるべく避けて生きてきた。ポッケからスマホを出して明日以降のシフトを確認する。 …明日もバイト。明後日は本来休みだったがパートのおばさんに変わってくれと言われて、断れきれず変わってしまったからバイト。時給は890円。田舎特有の安さ。いつもやめようと思ってはいるが、結局だらだら続けてしまっている。 「はあ…」 色々溜息が漏れる。 「あれ?え?」 まださっきの人がなんか言ってる。あういう系統の人は今後もなるべく関わらないで生きていくのが正解だ。 「あれ?そうだよね」 誰に言ってるんだよ。 「立石悟(たていしさとる)君」 思わず顔を上げた。 「あー絶対そうだ!私、わかる?」 目の前にはさっきの女子が立っていた。 背は僕より少し小さいが女子にしては大きい。 というか誰だ。 大きな目がスーッと試すように僕を見る。 「え、誰です…か…」 「あれー?立石君だよね?私、ほら同じクラスの!不登校の!」 同じクラス。誰だ。 というか不登校の人なんていたか。 あんなクラスにいる人の名前なんてあんまり覚えていない。 しかも女子なんて、尚更。 「めっちゃ頭回転させてる顔してる」 不登校…同じクラス… 「ほーらいるじゃん、一人」 誰だ。 「忘れちゃったかなー。」 「…すみません、人違いかと…」 僕は俯きがちに言った。 だって誰かわからない。 「えーまあそうか。でもほらいるじゃん!去年あたりから来なくなった奴!」 去年あたり? 急にピンときた。 …そういえば…一人いる。 「わかった?」 「椎木(しいき)…」 「そう!正解!うわ!とっくにいない事になってるかと思ってた!名字だけでも覚えててくれたんだ!ありがと」 彼女に目をやると満面の笑みでこちらを見てきた。 改めて見たその顔に少し食らってしまう。大きい目がスっと凝視してくる。髪は肩側にかけて整えられながら伸びているのがわかる。 僕と違ってとても良い容姿をしていた。 「席譲ってくれたでしょ?声かけたけど少しだけ無視したよね」 「いや、え、うん」 彼女の勢いに圧倒されてまた目を逸らす。 「今?なんかの帰り?」 「いや、バイトの」 反射的に出る言葉。彼女の勢いに飲み込まれる。 一瞬彼女が、ん?という顔した気がした。 「あれ?うちの学校ってバイト禁止じゃなかったけ」 ああしまった。反射的にバイトと言ってしまった。学校には内密にやってるからバレたらまずい。 でもこの後に誤魔化す言葉が見つからない。 「あーバイトしてるんだ。秘密で」 彼女に目を戻すと、ニヤニヤした顔でこっちを見てる。 最悪だ。マジでミスった。 「あー大丈夫。私は誰にも言わないよ。別に言っても何の意味もないし。バイトぐらい誰だってするよね」 彼女はおちょくるような真面目なような声色で言った。 「間もなく武蔵ー武蔵です。お出口右側です。」 なんなんだこの状況。 「こんな遅くまでバイトしてんだね。次の日学校…ぶっちゃけキツくない?」 「まあ…」 ドアの開閉音が鳴り武蔵に止まった。 一気に人々が車内から溢れ出ていく。 チラッとホームに目をやれば、サラリーマンやら学生やらで溢れていた。 車内はだいぶ空いた。 また電車が動き出す。 そっと横目で彼女を見れば、空いたね〜などと言っている。 状況を整理すれば、彼女は現在絶賛不登校中の椎木なつみということはわかった。最初に僕が彼女を全くわからなかったのは、去年の10月あたりに彼女が不登校になってからその顔を全く見ていなかったからだ。 というのも、僕らの学校は1年生2年生と同クラス同担任で、本格的に受験が始まる3年生でやっとクラス替えなのだ。だから余計最悪なんだけど…。 あと僕と彼女は話したことはなかった気がする。 そういえば彼女が何故不登校になったか最初は色々憶測が飛び交っていた。でも加藤がその追求についてホームルームで苦言を呈して以来、話題になることはなくなった。 「あ、ちなみにどこ駅で降りる?」 彼女は僕を覗き込むように聞いてきた。 「…鎌ヶ谷だけど」 「えーそうなんだ」 フッと会話が途絶え、変な間を感じて思わず目線を上げて彼女をちらっと見た。 窓越しに外を見ている。どこか遠くを見ている感じだった。 目線に困った僕も窓越しに外を見る。 ぽつんぽつんとある戸建てと、一面の田んぼが広がり続けその景色は変わらない。 なんだ。今、変な間が流れ続けてるのが気持ち悪い。 …そもそも彼女は、何故急に僕に話しかけてきたのか。 からかってきたのか、冴えない僕に試しに話しかけてやろうとしたのか、そもそも不登校なのに電車にのってどこに行くつもりだったのか、彼女もバイトでもしているのか。 色々な想像が頭の中に巡る。 と、急にガタンッとする電車に思わずよろけてしまった。 嫌な恥ずかしさを感じながら体勢を直す。 「あのさ」 横から彼女が口を開いた。 「立石君。バイトしてること私が言わないって条件に、この後ちょっと今の学校の事、色々教えてくれないかな?」 「え」 急にとんでもない提案をしてきた。 「え、どういうこと?」 思わず聞き返す。 「いや、私不登校じゃん。学校のことととか、今どんな感じなのかわからないから知りたいな〜みたいな。」 急展開すぎる。 完全にこの不登校児に、僕は振り回されてる。 落ち着こう。深呼吸だ。一旦落ち着く。 「もし僕が断ったら、バイトの件は学校に言ったりするんですか?」 何故か敬語になったけど逆に聞き返してみた。彼女は一旦宙を仰いだように見せ、また僕を見た。 「言うかも」 声色にさっきまでのおちょくったような感じはしなかった。真剣味を感じる。多分この不登校児は本当に学校に言うつもりだろう。僕には了承するしか選択肢が残っていなかった。 「わかった。」 「やったー!」 最悪。 「じゃあさ!ちょうど次の駅の西谷駅の近くにいい公園知ってるからさ、そこで聞かせて!」 スマホを見る。現在20時30分。西谷から鎌ヶ谷までは2駅分ある。田舎だから本数もあまりない。よし。これを口実に彼女の計画を破綻にするしかない。 「あの、ちなみに終電あるんだけど・・・。」 言いかけたところを彼女が遮るように言う。 「あー!だよね!大丈夫大丈夫!帰らさないようにしようとかじゃないから!聞いたらすぐ終わるかさ」 終わった。 「間もなくー西谷、西谷です。」 汗と行きの雨でベトついた制服が気持ち悪く、早く風呂に入りたい。 ポッケからスマホを取り出す。 ラインを開いて母親に「遅くなる」とうった。 「降りよ」 彼女はふと僕に向き直して言う。 「西谷ー西谷ー」 ドアの開閉音が鳴り彼女はホームに歩き出す。 後を追うように僕も彼女についていく。 改めてその後ろ姿を見る。 黒のジャージズボンにグレーのフード付きパーカーを着ている。 よく見ればやっぱり意外と身長が高い。多分僕が170ぐらいだから165ぐらいはある気がする。 失礼だが不登校の割り姿勢が良い。スーっと立っている。 こうやって見ると何故不登校になったか気になる。 病気っぽい感じもしないし、精神的に病んでいる感じもしない。一見普通になんというか健康そう。 「エレベーターと階段、いつもどっち?」 一瞬戸惑う。 「一応、いつもはエレベーター」 「私も、もう今はエレベーター」 エレベータに乗る。そういえば西谷駅であまり降りる人はいなかった。 僕自身も西谷駅で降りたのは初めてである。 ポッとポッケからラインの通知音が鳴った。 多分母親から、ご飯はいるかいらないかの確認のラインである。 この状況を説明するのもめんどうだし、一応返信は先送りにして通知を切った。 エレベータを降りて彼女は切符を改札に通した。 電子カードじゃないってことは今日久しぶりに電車にのったのかもしれない。 僕はSuicaを改札に通し彼女についていく。 外に出れば行きの雨は止み、星が広がっていた。外には夜の匂いがして風がシラーっと吹いている。 街頭がいくつかあって田舎感満載で何もない。まぁあるとすれば、カラオケと書かれた小さな看板が立ってたり、小さな本屋みたいな店は光が灯っているものの、そんぐらいであとはみんなシャッターで閉まっている。 ちょっと遠くに見える薄赤色のアパート街らしきものや、そこにある本当に人が住んでいるのかわからないツタの張った一軒家などが、一層この駅の夜の閑散さを際立てている気がする。 彼女は後ろに手を組みながらスキップするように歩いた。 斜め前には、バス停にサラリーマンが数人並んでいる。僕も普通に帰れば今はもう家にいたはず。 「どう、西谷。めっちゃ田舎でしょ?」 「…うん」 「そこの本屋とか毎回おばあちゃんが一人でやっててお客さん全然来ないし、あ、シャッター閉まっている店は、朝になれば文房具とか売ってる場所。あとあとそこのカラオケなんて、未成年にもお酒だすとか言う噂あるんだよ」 「そうなんだ」 正直どうでもいい。 駅のアスファルトを抜けT字路を左に曲がる。 スーッと長い直線にきた。僕は彼女の4歩ぐらい後ろからついていく。 なんか、なんだろう。本当に近くなのか。心配になる。からかっているだけな気がしてきた。 「あの、」 ん、と言って彼女は振り返った。 「本当に近くにあるの?」 「あそこに見えるじゃん」 彼女はそういって指を指す。 見れば確かに、80メートルぐらい先の左にポツンと小さい公園みたいなのがあった。 フフッと言ってまた歩き出す彼女。 はあ。なんだこの状況。 …でも実のところ、高校に入って女子と話す機会などなかったから、この状況に変な焦燥感を感じているのも事実である。というか、その焦燥感も含めて疲れる。 だからこれが本当にからかってるだけで、公園に着いたら、じゃあねとかは本当にやめてほしい。 しかしそんなことしても意味ないはずだ。じゃあなんだ。公園についたら輩みたいのがいて、金を巻き上げられるとかあるのだろうか。というか、まず学校のことを聞きたいとはどういうことなんだ。 もう思考がぐちゃぐちゃになって疲れる。 深呼吸して夜の匂いを吸い込んだ。 中央の車線に車は通っていない。縁石で分けられた道を縦一列に並びながら歩く僕ら。 虫の鳴く声が、ずーっと聞こえる。 あ、そういえば今日七夕だった。 だからってどうもないけど。 …。 はあ。 なんだかもう早く帰りたくなってきた。 スマホを見る。 さっきからまだ5分しかたっていない。 街頭も少なくなってきた。 急に連れていかれて脅されたりするのだけは、それだけは本当に勘弁してほしい。 また変な高揚感に不安感、それに焦燥感で余計疲れる。 「ここね」 彼女の声で顔を上げると、気づけばそこに公園があった。 ポツンと街頭が一つあり薄明りにベンチを照らしている。 赤褐色のベーシックな滑り台と、エビフライみたいな形をした乗り物がポツンとある。 これだけ…。これだけで公園と呼べるのだろうか。 そんな僕をよそに彼女はベンチに座っていた。 「静かで好きなんだよね、ここ」 彼女は横のスペースをポンポンと手をたたき、ここに座れとジェスチャーしてきた。 そこは1.2人分ぐらい空いていて、僕は少しだけずらしてベンチに座った。 身体は前向きで、なんとなく視線だけ彼女の方を見ることにした。 夜の匂いと雨が乾いた後の匂いが混ざって、鼻を抜ける。 街頭の薄明りがぼんやり僕ら2人を照らしている。 「学校さ」 彼女の口調がなんとなく切り替わるのがわかった。 とりあえず金をせびられるようなことはないみたいだ。よかった。 いやでも、だとしたら本当に学校のことについて今から話すのか。 「なんで私が不登校になったか知ってる?」 「いや…わからない」 「だよね」 彼女ははにかんで言う。 「不登校になった時、クラスどんな感じだった?」 「どんな感じだったって…君がいなくなった理由とか、色々憶測飛び交ってた」 正直に言った。というかよくわからない彼女の気持ちを汲んで答えるなど、この状況の僕には到底できない。まあ多分平常時でもできないけど。 でもなんだか今は疲れてるからか、言葉がすらすら出る気がする。 「やっぱりそうか〜」 「そんで私の話題はすぐ消えた?」 「すぐはないけど、加藤…っというか加藤先生が、椎木の気持ちも考えてその話題はやめにしようって言った以来、消えた…かな」 加藤を呼び捨てにすると色々弊害が出そうだから先生をつけた。 彼女は、ハハッと笑った。 「そっかあ。そうなんだあ」 脚をパタパタさせたり、急にやめたりしてせわしない。 「ちなみにさ、今のクラスはどんな感じ?」 「…どんな感じって?」 「うるさいーとか明るいとか、静かーとか」 「まあ…明るいかな」 本当はめちゃくちゃうるさい。弊害を気にする僕は、明るいにした。 虫の鳴き声があらゆるところで聞こえる。 サァーっと時々風が吹く。 なんかもう目線だけ彼女の方を見ているのも、何となく疲れてきた。 僕は自然に身体の向きを若干彼女に向け、やっと彼女をどことなく見ながら話すことにした。 急に彼女は僕を見た。 「なんか、どう?私気取ってる感じする?」 彼女は自分を指差して聞いてきた。 目が合う。 彼女の髪が風で揺れ、丸く大きな目が僕を見た。 「いや…。まあ、うん。わからない」 答えがぐちゃぐちゃになってしまった。 彼女はなにそれ、と言って笑い空を見た。 なんだ…こう見るとなんとなく確かに気取っている。 どこか朧気に空を見ているその幸薄そうな姿といい、その色々わざとらしい口調といい、いちいち全部気取っていそう。 ただ客観的に見て、そんな気取っているのもどこか容姿のために様になっている。 「立石君は、今のクラス好き?」 「…あんまり」 流されるまま正直に答えた。 「そうかあ…。あんまりかあ…。」 彼女は何故か嬉しそうに、フフッと笑った。 「私も、大嫌いだったんだよねクラス」 「…そうなんだ」 僕らの間にまた静けさが走った。 これが気まずい。 …彼女が不登校になった理由は、クラスが原因なのか。 「立石君ってテニス部だったよね?」 急に話題を変えてきた。 「…元だけど」 そういえば彼女も不登校前はテニス部だった気がする。 「あっ〜元か。…私も、不登校前はテニス部だったんだけど、わかる?」 やっぱりそうだ。 「確かそうだったね」 特に意味はないけど、確信を避ける様に言った。 「確かってさ〜。フフ。そうだ、テニスコート裏から学校侵入できるドア、あれもう塞がれた?」 「わからないけど…多分塞がれてないと思う。」 「まだなんだー。ずっと修理するとか言ってたよね?」 「言ってたね」 「あーあ。できればずっとテニスやりたかったんだけどなぁ」 「今はやってないの?」 なんとなく会話を返した。 それは、この後の静けさと気まずさが嫌なのと…そう、変に気取って意識してるのは逆に僕の方だったかもしれない。 「今はやってない」 「ああ…そうなんだ」 だめだ、2ラリーで終わってしまった。 「今日七夕って知ってた?」 すぐにすんっと彼女は聞いてきた。 七夕について…そういえば吉村先生が何か話していた。 「吉村先生が、今日の6限の現代文の授業で話してて、それで気づいた」 …吉村のこと、彼女は覚えているだろうか。 「えー吉村先生、七夕についてなんて言ってたの?」 彼女は当然の如く知っている、という口調で言った。 「えっと三屋って覚えてるっというか、わかる?」 「さすがにわかるよ。確か下の名前晴樹君だよね」 「そう、三屋が吉村先生に指名されて、三屋が七夕について色々言ってみんな笑って…」 思い出しながら言った言葉は、色々不明確な感じになってしまった。 「その色々が大事なんだけどなあ〜」 彼女は僕をおちょくるような口調で言った。 僕も色々の部分を覚えていないから濁したのだ。 こうなったら、しっかり思い出す。 …。 なんとなく思い出してきた。 彼女は、どうやら僕が思い出すのを待っているかのように黙っていた。 「確か」 「うん」 「確か三屋が、彦星…と織姫が1年に一回逢うことについて、天気が悪かったら逢えないから、別れるのが普通じゃないか、みたいに言って、これに対して吉村が、これは神話だから…みたいに言って、みんな笑って…みたいな…。」 「なるほどねぇ」 少しの沈黙が流れる。 「私はさ」 その語尾が強くなるのを少し感じた。 「彦星と織姫が逢えたら今日、それまでに起こった自分の話を二人とも沢山話すと思うのね」 彼女は空を見ていた。 「それでその逢えなかった年数が多ければ多いほど、その分色々な感情が乗ってお互い話したいことも増えれば…逢っても言えないことも沢山増えると思う」 「でもそうやって色々抱えても、なんていうか結局会って話すことが重要で、色々なその気持ちをぶつけあってお互い落ち着いて、だから別れないんだと思う」 「ああいやなんかさ、吉村先生が神話だからって七夕のことを誤魔化すのも、なんだかなあって思って。そういうの、先生なりに答え出してほしいなって思ったんだ」 自身の照れを隠すように彼女は笑った。 「別に私がその場にいたわけじゃないのにこんな言って、…まあ私の言ってることなんて、間違ってると思うけどさ」 彼女はそう言って黙った。 今の話、なるほどとはあんまり思わない。 …けど誤魔化してその場をはぐらかすって、僕も今だってやっているけど、それが違うことっていうのは正直わかる。それがいいか悪いのかは別にして…。 まあ…でもそうやって場を乗り切るのが社会で生きていくためには必要だと思う。つまり彼女の言っていることは所詮綺麗ごとだ。 …多分言っちゃ悪いから言わないけど、不登校で社会に接してないからこんな考えでも生きていけるのだと思う。 風がぴゅーっと吹いて、今までとは違う生暖かい風が顔に当たって気持ち悪い。 急に夏のムシムシした夜の暑さを感じた。 彼女は黙って空を仰ぎながら、脚をパタパタさせたりしている。 というか忘れてたけど、そろそろでないと終電が間に合わない可能性がある。 スマホを見たいが、ここで取り出すのも彼女にせかしているみたいで、申し訳ないわけではないがなんというか忍びなく感じてしまった。 「あれ、そろそろ時間だよね」 ナイスタイミング。 「ごめんね、長くなったかも。」 彼女はごめんなさいのジェスチャーをしてきた。 スマホを見る。 21時20分。出た時から意外と立っていた。 彼女は身体を乗り出して、僕のスマホを覗き込んできた。 髪がフワッと僕の顔の前を流れる。 「うわ、こんな時間なんだ。もう帰ろ」 「今日は色々教えてくれてありがとね」 「ああ、いやうん」 急に彼女は僕を見つめてきた。 目はわかりやすく左右に揺れ、何か言いたげな表情をしている。 「あのさ、良かったらでいいんだけど。もうちょっと話聞きたいんだよね」 「え」 どういう事だ。 「いやー、正直後半あんまり関係話になっちゃったじゃん?だから学校のこともう少し知りたいなーって」 にやつきながら話す彼女。 「え、いや今日で終わりなんじゃないの?」 「うーん。今日だけじゃまだ足りないかな」 「いやだって、話すっていたっていつ話すの?」 「それは…ラインする!あ、ラインやってる?」 この現代日本でやってないは嘘になる。 「まあ一応」 「やった。じゃあ教えて」 なすがままにラインを開いた。 また何も言えず彼女の勢いに飲み込まれた。 トーク画面に忘れてた母親のラインがある。 あれからまた2件きてる。通知を切っていたため気づかなかった。 視線を上げると僕のスマホを見上げるように、彼女の顔があった。 「お母さんから、帰ってきてってラインきてる感じ?」 「いや、まあそうだけど。」 どうやら彼女は、他人のラインを勝手に見てくるタイプみたいで少しイラつく。 「羨ましいなぁ」 「何が?」 「なんでもない。とりあえずqrコード見して」 というか、なすがままにライン交換している今の状況に少し困惑する。今更だけど。 ピコんっと音がしてラインを見れば、一番上のトーク画面にうさぎのキャラクターが笑っているスタンプが送られてきた。 「じゃあ駅まで帰ろ」 「この空なら織姫と彦星きっと逢えてるよね」 彼女はテクテクと歩き出した。 いよいよ、よくわからない状況になってきた。 今わかるのは、彼女と僕はもう一度どこかのタイミングで、学校のことを話すということ。 ダメだ。今日の展開が早すぎて色々あまり考えたくない。 …彼女の後姿をぼーっとみた。 なんだか掴んでいないと、どこかに消えてしまいそうな雰囲気を感じた。 「ねぇ立石君」 彼女はふと振り返って僕を見た。 「七夕、何お願いした?」 「…特に何も」 「えー。なら今決めてよ」 そんな無茶言われたって急に思いつかない、という言葉は飲み込んだ。 「楽しい人生」 今思ったことを適当に言った。 彼女は、なにそれと言って笑う。 「ああ、別に馬鹿にしてるとかじゃないからね」 僕の少しムッとした顔に気づいたのか、彼女は慌てて弁解した。 「そういうそっちはどうなんだよ」 らしくなくムキになって聞き返してしまった。 数秒空いて彼女は答えた。 「私はね、これ以上不幸なことが起きませんように!ってお願いした」 僕も負けじと、なんだそれって言ってやった。 彼女は笑ってまた向き直して歩いていく。 …ベンチから腰を上げるのは辛く、立てば若干立ち眩みがした。 とりあえず今は疲れてる。 母親にラインを返さないと。 彼女を見失わないように、後をとぼとぼ追いかけた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加