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後編
私はともくんに抱きしめられながら、夢と現のはざまを漂っていた。
彼の胸板の厚さとか、呼吸の気配とか、その囁きとか、耳に残る声とか。
見えないくらい近くで抱きしめられながら、私はともくんとただお話をしている。不思議な感触だった。時々彼のヒゲが、私の肌にこすれる。その時に、微妙に私の身体が反応するけれど、ともくんはその事には一切触れない。
「やらないにしろさ、こういう接近戦はその子とは出来ねーだろうから」
だから、サービスね。
ニヤリと笑いながら、彼はそう言った。
「嫌なら言って。止めるから」
「嫌じゃない」
即答したら、大笑いされる。
「そういう正直なとこ、良いと思う」
「ありがと」
私って、素直な良い子なの。というと、
「嘘つけ」と言われた。
「本当はもっとエロい事がしたいくせに」
「そんな単純にはいかないのよ」
こっちは結婚してるし、子供もいるし、
向こうはめっちゃ年下だし。友達だし。
いろいろ並べ立てていると、
「じゃさ、俺とやっちゃう?」
割と真面目な顔でそう言われ、私は黙った。残り時間はあと30分。別に延長料金を支払えないほど困っているわけじゃない、けども。
「いいや」
私は彼の提案に首を横に振り、軽くともくんを押した。
彼は「しょうがねーな」と言いながら元の座っていた体勢に戻る。
「お金、気にしてるんなら、時間内に何とかするけど?」
「逆にそれは嫌だわ」
そんなインスタントな抱かれ方は、一回限りだったとしてもご遠慮したい。
「ともくんの身体は充分堪能したからいいや」
それは半分本当で、半分はちょっと好奇心が残っていた。
この子といたしたら、どうなるんだろ。
「ま、いいよ。次があったらその時はよろしく」
見透かすかのように、彼が言う。
「あはは。今日はありがとうね」
君とは似ても似つかない内面と、どうかしたら本人と間違えてしまいそうな見た目と。どこかで彼らが繋がっていたら、面白いのになあと思う。
私はそんな事を考えながら、
規定料金をお支払いしてともくんと別れる。
なんだか清々しい気持ちだった。
「女性専用の風俗、ですか」
私からともくんの話を聞いた君は、なんだか複雑そうな顔をしていた。
「で、僕に似た人がいたと」
「そうなのよ。他人とは思えなかったくらい。男兄弟いないよね?」
「姉と妹しかいませんよ」
私と君は、ミスドでお茶をしながらそんな話をしていた。
好奇心の強い私は色々な場所に出かけてみては、君とその話を共有している。
「中々彼は売れっ子だと思うよ。すすめ方とか上手いもん。見習いたいくらい」
「何のために見習うんっすか」
呆れたように君は私を見た。
「別に僕に何か言う権利とか無いですけど、危ない場所は辞めといた方が良いと思いますよ。だいたい何かあったら旦那さんにどう言うんですか?」
「言わないよ、そんなもん」
当然である。夫には話すわけがない。
「じゃなんで僕には言うんですか」
「面白かったから」
それ以上でも、それ以下でもなかった。
もちろん、君の代わりに彼に抱きしめられたとは口が裂けても言えないけど。
音を立てて君がため息をつく。
「悪趣味ですね」
「悪趣味じゃないと小説なんて書けないから」
でも面白かったよ、と私は言う。
「いつか小説に使おうっと」
「まあ、その時は読ませてもらいますよ」
「書けたら言う」
確かに私がともくんに会ったのも、君にそのことを話すのもどちらもあまり趣味のいい話ではないよな、と思う。
だけど私は君のなんだか複雑そうな表情を見ながら、心の中で満足していた。
上手くは言えないのだけど、この顔が見たかったんだな、私は。
「男子は風俗に行くのもそんなハードル高いわけじゃないだろうけど、私はまあまあ勇気がいったわ」
「男子でも人によりますよ」
そう言われて、君が見知らぬお姉さんとべたべたしてるところを想像する。
――ちょっと嫌な気持ちかも。
「ねえ、風俗行ったりするの?」
「さ、どうでしょうね」
「教えてよ」
「嫌です。僕だって男ですからねえ」
「じゃ、行くんだ」
「行くとは言ってません!」
「じゃ、行ったことないの?」
「ノーコメント!」
「ケチ、教えてよ」
「嫌です!」
ケチ!と喚く私をたしなめながら、君は勝ち誇ったように笑う。
「僕だって物書きの端くれですから、取材でいろんなところに行くかもしれませんよ」
「えー。イメージ崩れる」
「勝手なイメージ持たないでください、悪趣味じゃないと小説なんて書けないんでしょ?」
揚げ足を取られてムッとする私を、君は楽しそうに見ていた。
「僕だって色々想像したら、あまり気分のいいものじゃないんですから」
ましてや僕に似てるというなら、なおさらですよ。
「それにしてもそんな似てたんですか?」
「うん、ほんとそっくりだった」
中身は全く別物だけどね、と私は思う。
まあ、この人はあんなこと多分、出来ないだろうと思うけど。
「また、いらんこと考えてるんでしょ」
ドキッ
「そんなことないよ」
「そんなに僕がイイのなら、僕が相手しますから」
「!?」
飲んでいたコーヒーを盛大にむせる。
ゲホゲホ、ゴホッ……
「なんてね、冗談ですよ」
「悪い男だねー」
「ええ、こう見えて悪いんですよ、僕は」
さ、コーヒーのお代わりでも飲んで、次の作品の話でもしましょう。と促される。
ともくんに又会いに行くかは別としても、
私はこの時間がとても好きだなと思う。
だからこそ、君には余計なことはしないでおこう。
そんなことを考えながら私は、注いでもらったコーヒーに口をつけた。
<終>
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