2章 侯爵令嬢

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2.2 武門の子  この時代、君主の他国への訪問は一大事業だ。まず家臣団を引き連れての、泊まりがけの馬車旅になる。ランデフェルト公国とリンスブルック侯国はそれほど離れてはいないので、郵便馬車のごとき速度を出せば二日で辿り着くが、その場合の快適さは最低と言っていいし、君主の権威にも相応しくない。泰然とした歩みで街道を練り歩き、財をばら撒きながら人々に威厳を見せつける必要がある。出立から到着の儀礼まで含めた旅程は十日弱を要していた。  加えて、他国への訪問には手ぶらというわけにもいかない。先方へのしかるべき贈答品も用意していく必要があった。つまり相当に金と時間がかかる事業で、国にはその分の外交的成果を持ち帰らなければならない。  家臣の一人としてエックハルトは、数ヶ月前からこの訪問準備に追われていたし、出立直前になってもそれは続いていた。そして、彼とリヒャルトが現在当たっているのもその準備の一環だった。  二人が現在いるのは公宮の謁見室で、宝石商が差し出す宝飾品の箱に視線を鋭い据えたまま、リヒャルトは黙り込んでいる。渋い顔と言ってもいい。 「どれも素敵ですよ」 「…………」  宝石商から促されても沈黙したままのリヒャルトに、エックハルトは畳み掛ける。 「殿下。我が国では僅かとはいえ水晶が産出します。この贈り物の選定は、単に個人的意味合いだけではなく、産業振興の側面もあります」 「分かっている! だからこそ、適当に選ぶわけにはいかんだろう」  苛立ったようにリヒャルトは応じる。 「あいつは宝飾品にはうるさいからな。場合によっては却って機嫌を損ねかねない。それこそ望ましくないだろう」 「ええ、まあ。ですが殿下」 「何だ」 「贈り物は、選んだ人の心が反映されるのですよ。単に形が良ければ、高級ならばという話ではない」 「お前の方が打ち解けているだろう? あいつは」  この成り行きに、エックハルトは溜め息を吐くしかない。  リヒャルト・フォン・ランデフェルトは武門の子だ。  その父祖エルンストは槍術により『災厄』を撃退した。一説には、公爵に封じられたこと自体がその功績によるものであるらしい。七人委員会の末席に名を連ねているのもそれが理由だった。  そんな軍事的権威と裏腹に、他の側面でランデフェルト公国は権勢に乏しかった。ヴォルハイム同盟諸国の中ではやや南方に位置し、海から遠い。これは、貿易において不利を被ること、また南に位置する大山脈に近いことによって、冬は寒く、雪と氷に閉ざされる。川の流れと盆地を生かした小麦の生産と、革製品が主産業だった。数世代前よりその他の産業振興には力を入れ始めているが、まだ経済的基盤と呼ぶことは難しい。  一方のリンスブルック侯国だが、ランデフェルト公国より北方の海沿いにあり、大運河の終端に位置していた。これはすなわち、貿易で安定して利益を得られることに等しい。一方で開放的な地形から、軍事的には弱点が多いという特徴があった。  縁戚関係が薄いリヒャルトにとっても、経済的基盤に不安のあるランデフェルト公国にとっても、リンスブルック侯国との縁戚関係は重要だ。だから、当年で十歳になるリンスブルック侯爵令嬢、ヴィルヘルミーナとの成婚を恙無く進めることは、公国の臣下にとっての責務だった。  問題は、リヒャルトとヴィルヘルミーナの仲があまり良くないことだ。ヴィルヘルミーナは幼いながら貴婦人として見られようと振る舞っているが、反面癇気が強く、その自負に相応しい程には我慢がきかない。結果気に入らないことがあると召使に当たり散らし、時として抓ったり蹴ったりする体たらくだ。  リヒャルトはこの婚姻を君主の義務として受け入れているものの、あくまで政略結婚としか考えておらず、まだ幼いヴィルヘルミーナと妥協し合うようなこともない。互いの訪問の折に、その短い時間にすら召使の主に相応しくない振る舞いをするヴィルヘルミーナを叱責したりもするが、それがヴィルヘルミーナの癇癪を引き起こして、事態はさらに悪化する。  今回の訪問の目的の半分は、新型兵器の試験製造工房の視察だ。だがもう半分は、許嫁への訪問だ。  その訪問に女連れとはいいご身分だ。どうやらリヒャルトは自分の立場が分かっていない。特に、自分の意識下での行いと、人がそれをどう見るかの違いが、全く分かっていないらしいと、そうエックハルトは思った。 ※視点切り替えに合わせてストーリーを分割、併せて少し加筆しました。(2022/12/27)
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