作文2

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作文2

 帰り道。ぎこぎことうるさい、公園のブランコに腰かける。  太陽は斜めに傾いていて、空の端が少しオレンジ色に変わっている。いつもだったら、とっくに帰っている時間だ。西日が眩しい。  昨日充電を忘れて寝ちゃったから、スマホの電源は切れている。それでも、どうしたって真っ直ぐ帰る気にはなれなかった。 「ママ……心配してるかな」  呟いてから、首を振る。大丈夫、わたしは「二番目の子」だから。お兄ちゃん相手にするのが忙しくて、きっとどうでも良いはず。あぁでも、手伝いしなくて大丈夫かな。またお兄ちゃん、ごはんひっくり返してないかな。 「いや、だから。そんなの知ったこっちゃないし。わたしがいなくたってさ、全然――」  ぎぃこぎぃこと、ブランコがうるさい。バカみたいに独り言を呟いているのが、本当にバカっぽくて、わけがわかんないけど、また少し鼻の奥がじんとした。  なにやってるんだろう、ほんと。なんでわたし、ここにいるんだろう。なにを期待してるんだろう。ママが迎えに来てくれること? お兄ちゃんを家に放って、わたしのところに来てくれること?  はぁ、とため息が出る。もしママがそんなことしたら、お兄ちゃんはどうなる? もしかしたら、勝手に家を出ちゃって、よその人の家に入りこんじゃうかもしんない。なにかがきっかけで興奮して、二階のベランダから飛び降りちゃうかも。道路に飛び出して車に引かれちゃうかも。  そうなったら? もし、そうなったら――。 「隣、良いかな?」  急に聞こえた声に、身体がびくっとなる。俯いていた顔を上げたのは、それが聞き覚えのある声だからで。驚いた一番の理由は、まったく考えてもいなかった相手だからだ。 「……パパ?」  スーツ姿のパパが困ったように微笑んで、隣のブランコに腰掛ける。手には通勤バッグ。わたしが座ったときよりも大きな、ぎぃぃっという音がした。 「なんで……パパ、仕事は?」 「今日はね、特別。定時で上がって帰って来たんだ。夕飯、唐揚げだって」 「……唐揚げの ために早く帰ってきたの?」  言いながら、ドキドキする。唐揚げのために早く帰って来たなんて、そんなわけない。  そんなことができるなら、自分の誕生日にだって早く帰って来るはずでしょ? ママ、パパの誕生日にはいっつも唐揚げ作ってるもん。 「花と、ちょっとおしゃべりしたくてさ。最近、ずっと帰り遅かったから、花の顔もよく見れてなかったろ?」  パパが笑う。わたしやお兄ちゃんと同じ細い目で、お腹も出てるくせに、なんか少しかっこつけてんなって思う。 「仕方ないよ。パパ、忙しいんでしょ?」  わたしはもう中学生だ。それくらい、ちゃんと分かってる。だから、「おしゃべり」だなんて。そんな、子ども相手にするみたいにバカにしないで欲しい。なのに、パパは「でもなぁ」とまた笑う。 「忙しくたって、パパは花とヒロのパパだしなぁ。それを辞めるわけにはいかないし、辞めたくもないから」 「……ふぅん」  辞めたく、ないんだ。 「花にはさ、お礼を言いたくて」 「お礼?」 「うん。いつも、パパの代わりにママの手伝いをしてくれて、ありがとう」  別に、と。そう言おうと思った。けど、ぐっと喉が詰まって、すぐに声が出てこない。 「……仕方ないよ。ママ、結構抜けてるし。なのに、毎日忙しそう……だからさ。わたしが手伝わなきゃ、ママが倒れちゃうでしょ」  知ってる。ママは結構マヌケだ。もっと手を抜けば良いのに、要領だって良くない。だからいっぱいいっぱいになると、失敗したり、忘れてしまったりすることだってある。そんなこと、家族だもん。分かってる。分かってる。 「ママが倒れたら、困るし……」 「でも、花が無理して倒れたら、パパとママも困るっていうか、心配だなぁ」  パパの声は軽い。まるで、当たり前のことを言ってるだけっていうように。思わず、唇をぎゅっと引き結ぶ。 「……ママから、なにか聞いたの?」 「そりゃ、ママとパパは夫婦だから。話くらいするよ」 「そうじゃなくてさ」 「……ママが、花が傷ついてるんじゃないか、って心配してるのは聞いた。あと、ヒロが花の作ったごはんを無駄にしちゃったって。でもその前からずっとずっと、花に無理させてきたんじゃないかって」    それを聞いて。今朝、家を出るときのママの顔を思い出そうとしたけれど、ママの腰から下しか覚えてない。それと、「シュークリーム」という声。 「……シュークリームさ。ママ、買ってくんの忘れたんだよ、昨日」 「うん」  パパが頷いて、ブランコが一つぎぃこと鳴る。 「お兄ちゃんのゼリーは、ちゃんと買って来たのに。おかしくない? だってママ、自分から言い出したんだよ? シュークリーム、買ってくるって」 「うん」 「わたしが好きだから……買ってくるねって……」 「そりゃ、ママのミスだなぁ。昨日は特に忙しかったんだっけ、ママ」 「そうだけど」  ぐっと、ブランコの鎖を握り締める。 「ママ……お兄ちゃんのは、それでも忘れなかったのに」 「……買い物、ヒロも一緒だったんだろ? たぶん、ヒロが欲しいって騒いだんじゃないか?」  言われて、思い浮かべる。仕事を切り上げてからお兄ちゃんを迎えに行って、病院での長い診察が終わって、疲れ切って買い物をするママ。お兄ちゃんは、病院帰りはいつも不機嫌だ。ワケ分かんない機械とかつけられて、無理やり看護師さんに押さえつけられてベッドに寝かされるから。  そんなお兄ちゃんをお店の中へ連れてって、なにごともなく買い物が終わるとも思えない。ゼリーの前を通りかかってバトルするお兄ちゃんとママの姿を思い浮かべたら、自然と「あーあ」と声が出てしまった。 「すごいやりそう……」 「最近はヒロ、パパでも力敵わないもんなぁ」  情けないことを言って、パパががっくりと肩を落とす。そりゃ、パパ運動とかしてないもん。毎日走り回ったり飛び跳ねたりしてるお兄ちゃんには、敵わないでしょ。当たり前でしょ。 「……クラスの子がね、昨日、病院でママとお兄ちゃん見かけたんだって」  今度は、パパは笑わなかった。じっと真剣な顔で、わたしの顔を見つめている。 「それで……お兄ちゃん、病気なの? って。病気では、ないけどさ……あたし……」  一回、唾を飲み込む。胸の奥にたまった石を取り除くように、はぁと息を吐く。 「――知らない、人違いじゃない? って……言っちゃった」 「……そっか」  ぎぃっと、パパのブランコがまた鳴った。わたしのブランコも、ぎぃこと鳴る。オレンジ色の太陽が眩しすぎて、ちょっと目を細める。 「酷いよね、家族なのに。家族のこと、知らないなんて、言っちゃった……」 「……別に、酷くないよ」  酷くない、と。パパは繰り返す。 「家族だからって、花がヒロのことを全部、受け入れる必要はないんだよ。花がどう受け止めるか、そんなのは花の心の自由だよ」 「……自由」  お兄ちゃんのことをクラスメイトに知られたら、恥ずかしいなって。それが原因でいじめられたら嫌だなって思うのは、わたしの自由? そんなふうに、考えて良いの? 家族なのに。 「だって、思ってしまうのは止められないだろ? それに、花には花の人間関係があるだろうし。それとも、友達に嘘をついたことが、その友達に悪かったなって、そう悩んでるのかな」 「……どうだろう」  そう言われると、そんな気もする。このうしろめたさは、お兄ちゃんに対してでもあって、ママに対してでもあって――それから、タケルに対してでもあるのかもしれない。 「……まぁ、パパにはさ、花の人間関係に口出しすることはできないけど。でも」  そう、パパは笑顔で続けた。 「パパとママにとって、ヒロは大切な子どもだけれど、同じように花も大切な子どもだから、そんなふうに苦しんでいると、その方が悲しくなってしまうなぁ」  その言葉を、聞いた途端。  すぅっと、わたしの中で、なにかが引いて行った。代わりに、冷たい空気が肺に入ってくる。 「……そっか」  思っていた反応と、違かったのかもしれない。パパは「ん?」と首を傾げた。 「花?」 「分かったよ、パパ。ありがとう」  笑った顔が、少しぎこちない気がする。  言えば良い。ぶつけちゃえば良い。  「同じように大切? そんなの、ウソじゃん」って。  「わたしはどうせ、お兄ちゃんのために生まれたんでしょ?」「二番目の子なんでしょ?」  ――そう言えば、たぶんパパは否定してくれる。きっとママだって。  パパの視線には気づかないフリをして、わたしはぴょんとブランコを飛び降りた。 「それより、もう帰ろ。唐揚げ、冷めたら美味しくないし」  振り返ると、パパはまだ口をもごもごさせていたけれど、最初と同じように困ったような笑顔を作って「そうだね」とブランコを降りた。一際大きな音で、ブランコが鳴く。 「帰ろうか」  手を差し出してくるパパに、「子どもじゃないんだから、やめてよ」と笑って、わたしは歩き出した。  そうだ。わたしは子どもじゃない。だから、大人がくれる甘いキャンディーをただ喜んで満足することなんて、もうできない。  家に帰ると、ママは急いで玄関まで来て「お帰り」と泣きそうな声で言ってくれて、お兄ちゃんは変わらず爆音で幼児番組見ながら飛び跳ねてて、唐揚げは柔らかくて美味しくて、デザートのシュークリームはコンビニやスーパーのじゃなくてケーキ屋さんのやつだった。  シュークリームの甘いクリームに包まれて、みんなが笑顔で。  それで良い。それで充分。  パパはわたしのことも愛してくれてる。ママもわたしのことを愛してくれている。  それで良い。それで充分。  パパとママが心配そうにこっちを見ている。知らんぷりして、わたしはシュークリームに齧りついた。  とびきり美味しいはずのシュークリームはなんだか泡がついたスポンジを食べているみたいで、無理やり口につめてから、わたしはそれをトイレで吐いた。
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