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家を早く出たけれど、これで学校に早く着いたら、またタケルと長い時間、二人になってしまいそうで。そうはなるまいと、わたしはコンビニに寄った。
「また、学校でお腹すいたら困るしね……」
一人ごち、思い出しついでに、プロテインバーコーナーを見る。
「げ、高……ッ」
お菓子を買うにしては、ちょっと高めの値段設定だ。迷いつつ、結局二本手に取った。こうも高いと分かると、タケルにお返ししないわけにはいかない。
昨日よりは遅く着いた教室には、当たり前のように紫芋姿のタケルが座っていて、わたしを見ると「あー……」と変な声を出して、手だけ軽く上げてきた。
「……おはよ」
そう言いながら、通り過ぎざま、タケルの机に買ったばかりのプロテインバーを一本置く。「えっ⁉」とタケルが驚いた声をあげた。
「なんでオレがプロテインバー忘れたこと知ってんの⁉」
「はぁ? 知らないし。昨日もらったから、お返しに買っただけ」
自分の席に座り、自分の分のバーを開けて齧る。それをまじまじと見てくるタケルを、「見ないでよ」とにらんでやる。
「いや、気に入ったんじゃん」
「……まぁ。これ、結構お腹いっぱいになるし」
「腹持ち良いよなー」
言いながら、タケルは渡したばかりのバーを開けて、同じように齧り出した。これじゃ、まるで二人で食べてるみたいだ。
「なぁ、あの作文書いた?」
作文? と訊き返しかけて、「あぁ」と思い出す。そんなの、すっかり忘れていた。
「まぁ……別に適当にそれっぽく書いて出せば良いんでしょ。どうせ、うちの親来ないかもしんないし」
「なんで、ケンカ?」
「別に……ケンカってワケじゃないけど」
口ごもってしまうのは、ママが今、どんな気持ちでいるか想像もできないから。
「……こんな家にいたくないって言われて、泣きもしないとか。そんなのやっぱり、わたしのことどうでも良いからなのかなって、思わない?」
「なんだよおまえ、思春期かよ」
からかうように言われて、さすがにムッとする。
「そういうんじゃなくて、本気だし」
「本気なのは良いけどさ。別に今すぐ出ていけるワケじゃないじゃん。オレらガキだし」
「ガキって……あんたと一緒にしないでよ。わたしは」
「ガキだよ、中二なんて」
イラついたように、その割に真面目な顔で、タケルが言い返してくる。
「オレ、最近そう思う」
そう言われてしまうと、それ以上言い返すこともできなくて。わたしは黙ってバーを齧った。ビター味を選んだせいで、ちょっと口の中が苦い。
「オレの作文、見る?」
「えぇ? 亀の作文なんて良いよ、別に」
「なんで亀のなんだよ」
「だってタケル、課題について説明されたとき、亀について書くって言ってたじゃん」
「よく覚えてんなそんなこと」
ぶつぶつ言いながら、タケルは「ほらっ」と原稿用紙を、乱暴にわたしの机へ置いた。
「汚い字。読みづら」
「うっせ」
タケルの顔が赤い。仕方ない、と読み始めると――わたしは、バーを齧るのも忘れて言葉を失くした。
「どーだ、超傑作だろ」
「タケル……あんた」
なんと言ったら良いか分からない。タケルの作文に書かれていたのは、ペットの亀ではなく。入院中と言っていたおじいちゃんについてだった。
タケルのおじいちゃんは、痴ほうらしい。それも、重度な。
ヘルパーさんに来てもらって、タケルのお母さんもお世話して、力仕事はタケルも手伝っている。
「じいちゃんさ、すげぇ優しかったんだけど。今はめっちゃ怒りっぽくてさ。すぐ怒鳴るし、ワケ分かんないこと言うし、トイレも失敗するし。マジウケる」
読んでいるわたしの隣で、茶化すようにタケルが言う。その声が、ちょっとだけ震えていたけれど、わたしが気がつかないフリをして「そうなんだ」と頷いた。
「うち、父親いないし。だからオレもたまに手伝ってんだけど、この前じいちゃん風呂場で転んじゃってさ。それで、今入院してんの」
「へぇ……」
「見舞いに行ってもうっさいかなーと思ったんだけど。なんか、急に元気なくなっちゃってさ。マジ、家でのアレはなんだったんだよー! ってなるよな」
「そっか」
「いやほんといろいろヤバいからさ。オレも、さっさと家出てーって思ってたんだけど。でも、オレより大変なことをさ、家に来てくれてるヘルパーの人とか、ババァとかやってるの見てると……なんて言うか、オレってガキだなぁって、なんにもできねぇなぁって。そう言うとババァがさ、『ガキなんだから、別にそれで良いんだよ。充分助かってるから』って、笑うのがまたムカつくんだよなー」
「ふぅん……」
タケルはそう言うけれど、作文の最後には、『お母さん、いつもありがとう』なんて書いていて。
「……ほんとはさ。昨日、高坂の兄ちゃんのこと訊いたの、もしかしたらうちと同じじゃなくても似たような感じかなーと思って、ついさ。でも、よく考えたら、そういうの言いたくない場合だってあるよな。ごめんな」
そんなことまで言ってくるタケルは、タケル自身が言うような「ガキ」なんかには、ぜんぜん見えなかった。
「……だから言ったじゃん。そんなの、知らないって」
「あ、そうだっけ。悪い悪い」
自分の分のバーを齧りながら、タケルが軽い調子で謝る。はぁ、とわたしは机に突っ伏した。
「……昨日さ、タケル、わたしの牛乳持ってかなかったじゃん」
「え? あぁ、だって昨日、カレーだったじゃん? オレ、お代わりして腹いっぱいになっちゃって」
「なんだそれ」
あんまりにもバカバカしくて、思わず笑ってしまう。
「わたし、タケルが怒ってんのかと思った。それか、うちのお兄ちゃんがヤバいって、バカにしてんのかなとか」
「はぁ? なにそれ。意味分かんないし」
本気で眉をハの字にしながら、タケルがガリっとバーを齧り取る。
「おまえ、思い込み激しすぎ」
言われて、今度こそ大きな声で笑ってしまった。
「ヤバ。ほんとそうかも」
「そうだよ。言われてもないことウジウジ考えてたとか、それってオレのこと好きなんじゃね?」
「ほんとだ。言われてもないこと思い込むの、すごいバカっぽい」
「どういう意味だよ」
睨んでくるタケルと、笑ってるわたし。
笑うってすごい。なんだか全部が、バカらしく思えてくる。
お兄ちゃんのすることに一々腹立てていたことも、シュークリーム買い忘れられただけで愛されてないって思ったことも、パパに優しくされてごまかされてるって怒ったことも――わたしはお兄ちゃんのために生まれたんじゃないか、ってことも。
全部全部、バカバカしい。
本当かどうかもわからないことを、疑ってこだわって。
だから、優しくされてもその気持ちを真っすぐに受け入れられなくて。優しくされればされるだけ、役立たずって思われてるんじゃないかって。自分の価値がなくなっていくんじゃないかって、そう思い込んでいた。
思い込んでいたんだ――全部、イヤな方向にばっかり。
本当のことなんて、分かりもしないのに。
開け放たれた窓から、風が吹き込んでくる。カーテンをはためかせるその風からは、新緑の匂いがした。
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