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第一章 出会い
ソレイユ王国の東の端にある小さな村。さらにその東に広がる国境沿いの森に、ひとり暮らす薬師の青年がいた。
雨風が吹き荒れる悪天候の中、一体何がそんなに面白いのか。その青年は、鴉色の黒髪からぼたぼたと水滴を滴らせ、深い緑色の瞳を輝かせていた。
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▽
雨が降りしきる森の中をしばらく歩くと、少し開けた高台が見えてくる。今回のお目当てはそこに咲いている特殊な花、アネモス草だ。
「やっぱり……!」
強い風に煽られて、くるくると花びらが回っている。アネモス草は数年前に見つけた新種の植物で、花びらが風車のように回るから、遊び半分で風と名付けた。
まだ未解明な部分も多いけど、その効能は幅広く、塗り薬にすれば裂傷や打撲に、飲み薬にすれば鎮熱剤にもなる優れものだ。本来であれば、その花びらは薄い紫色をしているのだが、今は血のように真っ赤な色へと変化している。
「……この嵐で影響を受けてるんじゃないかとは思ってたけど、こんなに真っ赤になるなんて。前に調べた時は少し赤みが強くなる程度で、効能に関しても特に変化は無かったよね。ならやっぱり強い風が───っと、いけない、早く帰らなきゃ」
植物のことになると、ついつい我を忘れて考え込んでしまうのは悪い癖だ。
心の中でごめんねと呟きながら、根の部分が傷つかないよう、出来るだけ慎重に引き抜いていく。五つほど採取して皮袋に詰めきった頃には、頬を叩く雨が痛いほど強くなっていた。いつになく酷い嵐になりそうだ。
雨避けのフードを深く被り直して立ちあがろうとした瞬間、風の吹き荒れる音に混じって、何かが聞こえたような気がした。
―𝕴𝕿𝕬𝕴―
「………人の、声……?」
間違えて森に入ってしまったのだろうか。
この森には僕以外住んでいないし、それ故に人工的な道も看板もない。たまに迷い込んだ人を案内することもあるのだが、まさか嵐の日に来るなんて。
慌てて声が聞こえた方へ向かうも、あれ以降、声はぱったりと聞こえなくなってしまった。
風の音にかき消されているのか、はたまた聞き間違いだったのか。聞き間違いであればそれでいいのだが、もし人がいた場合は命に関わる。
雨風の中を懸命に探し続け、少し離れた崖の下あたりで、ようやく倒れ込んでいる人影をみつけた。
「……ッ大変だ。大丈夫ですか! 声、聞こえますか?」
うつ伏せに倒れていた体を抱き起こし、口元に耳を近づける。ヒューヒューと微かながらもはっきりとした呼吸音が聞こえてきて、ホッと胸を撫で下ろした。
全身血と泥に塗れて酷い有様だったが、生きているなら救いようはある。
本来であれば無理に動かさず、この場で応急処置を行った方がいいのだけれど、今はとにかく時間がなかった。
雨風はさらに強さを増し続け、あと十数分後には本格的な嵐になるだろう。……とりあえず、家に連れ帰らないと。
まずは鞄を体の前にかけなおし、意識のない体を木にもたれかかるように座らせる。後はしゃがんだまま背負いつつ、立ち上がるだけという寸法だ。
「んぐぐぐぐぐ~~~~」
こ、この人細身に見えて中々に重い。見た感じ脂肪による重さではないから、相当鍛えているのだろう。なんとか立ちあがろうにも、ぬかるんだ地面に足が取られてうまく踏ん張りが効かない。でも………
「うぉりゃ~~!!」
ここでやらなきゃ男じゃないぞ!
そう自分に言い聞かせ、半ば根性だけで背負い上げた。脱力している体はとんでもなく重いし、雨で手が滑って支えづらい。おまけに、ただでさえ歩きにくい森の地面は、雨のせいでグチョグチョだった。
「大丈夫、大丈夫だよ、絶対助けるから」
意識がないとわかっていても、何度も声をかけ続けた。──大丈夫、絶対助ける。
多少は自分に言い聞かせて、奮い立たせる意味も込めていたのだろう。その小さいながらも力強い声援は、家に辿り着くまで途切れることはなかった。
▽
転がり込むように家に入ると、最後の力を振り絞って彼をベッドに横たえた。
急いで玄関まで戻り、開けっ放しにしていたドアを風圧と戦いながら閉めて鍵をかける。
二階建ての小さなログハウスではあるが、嵐に備えて窓やドアには耐久魔法を施してもらっているので、よほどのことがない限り壊れることはないだろう。
とりあえず第一関門は突破だけど、もたもたしている暇はない。
「えーと、とりあえずタオルでしょ。傷薬と消毒液、ガーゼ、包帯……あと何がいるかな」
色んなものを両手に抱えて、バタバタと家中を駆け回る。……よし、まずは服だ。
濡れた体では体温の低下を招く。見知らぬ人、それも意識がない状態の人を脱がすことには抵抗があったけど、しのごの言っている場合ではなかった。
最低限、下着にだけは触らないから許して欲しい。そんな思いを胸に、四苦八苦しながら服を脱がし終えると、濡れた体をタオルで拭いて手早く治療を施していく。
至る所にある擦り傷には塗り薬を、酷い裂傷はアルコールで入念に消毒して、より効果の高い塗り薬とガーゼ、さらにその上から包帯。
中でも一番酷いのは、脇腹にある剣で斬られたような傷だった。
恐らく相手の手元が狂いでもして、危うく掠ったのだろう。傷口自体はさほど大きいものでもなく、内臓にも届いていないはずだけど、土や砂利が入り込んでしまっているのが問題だった。
大きいものはピンセットで取り除き、小さいものは消毒液を含ませた布で、できる限り優しく拭い取る。かなり痛いだろうから、意識が無くて逆に良かったかもしれない。
「……それにしても酷いな」
僕は薬師であって医者ではない。適切な処置をできているかは分からないけど、何もしないよりはマシだと信じたかった。
左足首も赤く腫れて熱を持っていたので、硬めの包帯で固定し、冷華草の葉をタオルで包んで巻き付けておく。仕上げにクッションを挟んだら、一通りの手当ては完了だ。
濡れた体をそのまま乗せたから、シーツはかなり濡れているだろうけど、体力的にもこれが限界だから仕方がない。
最後に傷の見落としがないか確認していると、先ほどよりも、顔が赤くなっているような気がした。試しに手を当ててみると、火傷しそうなほどに熱い。
「凄い熱だ……」
すぐに常備している熱冷ましを飲ませてみたけれど、熱は下がるどころかむしろ益々上がっていった。
効果の強い熱冷ましは材料が貴重な為、すぐには手に入らない。外に出て薬草を探そうにも、この嵐では採取は望めないだろう。
くそ……嵐でさえなければ……。
ガタガタと勢いよく揺れる窓を眺めながら必死に打開策を考えていると、一つの考えが頭に浮かんだ。
「そうだ、アネモス草!」
元々それが目的で嵐の中を出かけた筈なのに、すっかり頭から抜け落ちていた。鞄の中から皮袋を取り出し、中身を作業台の上に並べる。
チャンスは五回。まずはこの状態のアネモス草に、有毒な成分が含まれているか調べなければ。
有毒性さえわかれば成分の抽出、それから調合だ。彼の体力がどれくらい保つかもわからないし、まさに時間との戦いである。
「……よし!」
両頬を力一杯叩いて気合いを入れ、僕は早速仕事に取り掛かった。
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