第五章 迎えの日

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 目が覚めると、そこは自分のベッドの上だった。全身にじっとりと嫌な汗をかいており、心臓は激しく運動した後のように脈打っている。 「……………夢か……」 「夢じゃないぞ」 「……………夢だな……」 「相変わらず物分かりの悪い奴だな。夢じゃないと言っているだろう」  ギギギと錆びたブリキのように首を動かすと、ベッドの横に座っていたヴィラもどき(仮名)と目があった。すぐに逸らして毛布を被ろうとしたけれど、妨害されて徒労に終わる。  向かい合って座っても、どこを見ればいいか分からなくて、ただうろうろと視線を彷徨わせることしかできない。 「……あの、本当にヴィラなの……?」 「そうだと言っている」 「でもヴィラは僕より小さかったし、髪もそんなに長くなかった。声だってもっと高くて──」 「成長期って言葉は知ってるか?」 「うぐ……」  煮え切らない僕の態度に限界がきたのだろう。顎を掴まれて、強制的に目を合わせられる。肩くらいの長さだった髪はいまや腰に届くまで伸びており、右側の短い一房だけを三つ編みにしていた。  右に流した前髪から深い紫の瞳が覗き、その下にはあの時と変わらない泣きぼくろがあった。元々美少年といった感じの顔立ちだったのに、頬がシャープになったせいか、美しさはそのままに一層大人びて見える。  左耳には、昔渡したガラス細工のイヤリングが輝いていた。高くて綺麗だった少年の声も、よく通る低音に変わっていて、囁かれるとなんだか背筋がゾクゾクする。  でもごめん、ひとつだけ言わせて欲しい。  いくら成長期っていってもさ、三年で変わりすぎじゃないかな!? そりゃあ他人だって疑ったのは悪かったけど、美少年だった弟がとんでもない美丈夫になって帰ってくる兄の気持ちも考えて欲しい。もう無理だよ、至近距離で目が合うだけで心臓がもたない。 「―――その………疑ってごめん。おかえり、ヴィラ」  その言葉を聞いたヴィラは、花が綻ぶように笑った。え、今……… 「笑った……? 笑ったよね? わぁ…すごい! ヴィラが笑ったところようやく見れた!」 「お前が見てないところではたまに笑っていたぞ」 「え、嘘……ぐずっ、もう……っなんで、見せてくれなかったんだよぉ」 「そんなに見たいなら、これからいくらでも見せてやる。……だから、私と来い」  昔みたいな会話ができることが嬉しくて、ヴィラがまた会いに来てくれたのだという実感がようやく湧いてきた。泣いたらいいのか笑ったらいいのか分からなくて、とにかく涙ぐんでいると、急に真剣な顔つきで手を握られる。  私と来い。とは、一体どういう意味なのか。僕はてっきりヴィラが帰ってきてくれて、また一緒に暮らせるものだと思ってたんだけど。……もしかして違うのかな。眉根を寄せて困惑していると、緊張した面持ちのヴィラが口を開いた。 「これからお前に全てを話す。……長くなると思うが、聞いて欲しい。まず最初に、私の本当の名前はヴィシェーラ・アインス・ルミナーレ。ルミナーレ王国の第二王子だ」 「え……」  身分が高いとは思っていたけど、まさかルミナーレの王族だなんて。開いた口が塞がらないとは、正しくこの事だった。けれど、冗談を言っているような顔には見えないし、本当のこと……なんだろうか。 「ルミナーレ王国は代々、王族の中で魔力量が最も高い者が王位を継ぐ。私は生まれてすぐに王位継承権第一位の座を与えられ、常に命を狙われて続けてきた」 「そんな小さな子どもを殺そうと……?」 「貴族どもは自分の地位と権力にしか興味がない。誰を殺そうと良心すら傷まないような、腐った連中ばかりだ。……父上ですら私を使える駒にするため、徹底的に管理しようとした。私はそんな生活に嫌気がさして、あの日城を抜け出したんだ」  まるで、違う世界の話を聞いているみたいだ。  ヴィラが詮索されることを恐れていた理由がようやくわかって、こんなに辛い思いをずっとひとりで抱えていたのかと、胸が痛くなるような思いだった。 「城を抜け出してから馬で丸二日走って、ようやく国境付近まで来ることができた。だが運悪く賊に襲われ、応戦している最中に足場が崩れて崖下に落ちた。そこでお前に助けられたんだ」  ──そうだ。あの日のことはよく覚えている。崖から落ちたと言っていたのに、脇腹には剣で斬られたような傷があった。おかしいとは思っていたけれど、やっぱりあれは人の仕業だったのか……。 「それからはお前も知っての通りだが。……父上はずっと私を探していたようでな。賊に売り捌かれた私の荷物から居場所を辿り、この辺りにいると目星をつけた。だが正確な居場所がわからない上に、ここはソレイユ王国内。下手に兵士を向かわせれば、外交問題になりかねなかった。だから、ある方法を使って私の居場所を判別しようとした」 「ある方法って……?」 「………っ、エレメント、デビルだ……」  苦々しげに呟かれた言葉に、思わず息を呑む。 「嘘、そんな!」 「元々あの地域にいるはずもない魔獣だった。転送魔法で森に送りつけ、森にいなければ村に行かせるつもりだったんだ。私が応戦すれば氷や雷ですぐに分かる。そういう……腹積もりだった」  ヴィラの拳は血が滲むほど握りしめられていた。周りには、凍えそうなほどの冷気が広がっている。ヴィラがそれほど怒っているということだ。 「私のせいでセシェルを危険な目に合わせた。本当にすまない」 「……ッそんなの、ヴィラのせいじゃない! ヴィラがいたから戦えたんだ。君が守ってくれなきゃ、僕なんてとっくに死んでた。君は、何一つ悪くない。」  深々と頭を下げたヴィラの肩を掴んで、顔を上げさせる。ヴィラのお父さんが許せなかった。こんなに優しい子がこの事実を知った時、自分のせいだと思い悩んでどれほど苦しんだのかは想像に(かた)くない。  血が滲むほど握られた拳に手を添えてゆっくり解かせ、震えている体を抱きしめる。背中に手を添えてトントンと叩くと、ようやく少し落ち着いたみたいだった。 「ゆっくりでいいよ。君が抱えていることを、僕にも分けて」 「……あの後、ドアにバスケットがかけられていたことがあっただろう。あれは全部ルミナーレでしか採れない果物だった。不審に思って調べてみたら、敷かれた布の底に手紙が入っていた」 「まさか」 「ルミナーレ王家の紋章が入った手紙だ。近くの町に従者を滞在させている。そいつと合流してすぐに帰ってこいと、そう書いてあった」  だからあの時真っ青な顔をしていたのか。そう言われれば果物を焼いた行動にも説明がつく。能天気に食育だとか考えていた自分を殴り飛ばしてやりたかった。 「その日の夜、風魔法で従者に手紙を飛ばした。私は帰るつもりはない、ここに残ると書いたんだ」 「………」 「だが当然父上が納得する筈もない。今度は従者が直接迎えに来て、従わないならセシェルを殺して森を焼き払うと警告された。……それからは、いつかセシェルを迎えに行くことだけを楽しみに必死で努力した。つい先日成人して、ようやく正式に王位を継いだんだ」 「ヴィラ……、」 「またセシェルと暮らせるのなら何も辛くはなかった。お前が心の支えだったんだ。……本当はこの森で暮らしたいが、王位を継いでしまった以上、ルミナーレから離れられない。お願いだから一緒に来てくれ」  自分がのうのうと暮らしている間に、ヴィラは血の滲むような努力をして王位を継いだのだ。破格の待遇でルミナーレの属国になれたのだって、ヴィラが口添えをしてくれたことは明らかだった。  一緒に暮らしていた時も、離れてからも、僕はずっと彼に守られていたんだ。涙が溢れて止まらない。こんなに想ってくれていたなんて凄く嬉しい、嬉しいけど……。 「……ごめん、僕は行けない」 「……ッなんで!」  肩を強く掴まれる。ヴィラにしては珍しい荒だった声が、彼の動揺を如実に伝えていた。 「僕はこの森を離れられない」 「あり得ない、村にだって降りてただろう」 「肉体的な話じゃないんだ」 「それは……私より、大事なものなのか?」  違うと言ってくれ、迷子のように揺れる瞳がそう語っている。それでも僕は--肩を掴んでいるヴィラの手をそっと離させる。 「ごめん」 「……………」 「ヴィラが会いにきてくれたのは、すごく……すごく嬉しかった。正直、もう二度と会えないと思ってたから。……君は優しくて強い子だから、絶対いい王様になるよ! 君さえ良ければ手紙とか――」 「もういい、それ以上喋るな」  プシュッ  顔に何かを吹きつけられて甘い匂いを感じた途端、目の前がぐらぐらと揺れ始める。何……香水……? そのままベッドに倒れ込むと、体に力が入らなくて、指一本すら動かせなかった。 「失礼致します陛下、お時間です」 「(うるさ)い、言われずともわかっている。……転送魔法の準備は」 「ハッ、既にご用意出来ております」  脱力した体を持ち上げられて、どこかに運ばれる。眠ってはいけないと分かっているのに、何故だか瞼が重くてしょうがない。  薄れゆく意識の中で、少年だった頃のヴィラが笑っているような気がした。あの頃の笑顔なんて、みたこと、ない、のに……
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