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「𝕹……𝕯𝕺𝕶𝕺𝕯𝕬」
「あぁよかった! 目が覚めたんだね」
昨日、深夜までかかってようやく薬を完成させ、彼に飲ませて呼吸が落ちつくところまでは確認した。もし万が一があってはいけないと、徹夜で看病するつもりが、僕も寝落ちてしまったらしい。
「お腹空いてるでしょ、ご飯作ってくるね」
「𝕯𝕬𝕽𝕰𝕯𝕬? 𝕾𝕴𝕶𝕬𝕶𝖀!」
「あ、ちょっとまだ起きあがっちゃ──ッてうわぁ!」
「𝕸𝕺𝕶𝖀𝕿𝕰𝕶𝕴𝕺𝕾𝕴𝕰𝕽𝕺」
見慣れない部屋に驚いている様子の彼を刺激しないように、一度離れるつもりだったのだけど、立ち上がった瞬間、喉元に鋭い何かを突きつけられた。凍るような冷たさが首筋に伝わってきて、ぶるりと体が震える。
視線だけを動かして確認すると、喉元に突きつけられていたのは、氷で出来た精巧な剣だった。
(呪文を唱えないで魔法を使ったってことは――加護持ちか)
この世界に生まれた人間は皆魔力をもっており、中でも加護持ちといわれる子供が生まれてくることがある。
九大魔元素『火・水・草・風・土・雷・氷・闇・光』の中から、どれか一つの加護を受けており、その元素の魔法を使う際は、詠唱をせず感覚のみで扱えるのだという。
ちなみに、どの元素の加護を受けているのかは目の色から判別できる。この子の場合は右目の紫が雷元素で、左目の水色が氷元素だけど、加護を受けているのは氷元素の方みたいだ。
……それにしても綺麗な目だなぁ。まるで吸い込まれるように眺めていると、ひときわ強く、喉元に剣が押し当てられた。
「𝕹𝕬𝕹𝕴𝕸𝕴𝕿𝕰𝕽𝖀!」
「あ、ごめん。えーと、それは何語? 怒ってる……のかな?」
「𝕶𝕺𝕿𝕺𝕭𝕬、𝖂𝕬𝕶𝕬𝕽𝖀𝕶𝕬?」
「ぼく、ことば、わからない」
身振り手振りを交えながら何とか説明を試みるも、その表情は少しも変わらない。
これは果たして、伝わっているんだろうか。不安から再び口を開こうとしたその時、薄い唇がゆっくりと形を変えた。
「……この言葉なら、分かるか?」
「君喋れるの!?」
「少しなら、あまり得意ではない」
どうやら彼は、ソレイユ語を話せたらしい。少し辿々しいけれど、とりあえずは言葉が通じたことにホッとする。
「うん、見た感じ熱は下がったみたいだね」
「……お前が、助けてくれたのか」
「そんな大袈裟なことはしてないよ。体は大丈夫?」
「ああ」
「よかった! お腹空いてるだろ? 剣を下ろしてくれたら、何か作ってくるんだけど……」
伺うように目線を送ると、彼は少し迷った末に、大人しく剣を下ろした。敵意がないことを、ようやくわかってくれたらしい。
いきなり剣を向けられたのには驚いたけど、きっと混乱していたのだろう。
元々着ていた服はあまりにも汚れていたから、とりあえずの応急処置として、僕の服を渡しておいた。少し大きいだろうけど、そこは我慢してもらうしかない。
ーーさて、何を作ろうか。
嵐が来る前に収穫した野菜が沢山余っているし、野菜たっぷりのスープにでもしようかな。
ふんふんと鼻歌を歌いながら色とりどりの野菜を切っていく。
玉ねぎはスライス、にんじんとセロリは賽の目切り、キノコは軸を落として大きめにちぎる。分厚く切ったベーコンを入れたら、ハーブと塩胡椒で味を整え、じっくりコトコト煮込んで完成だ。
スープは木の器によそって、ストーブの上で温めておいたパンを添える。少し物足りないので、お手製のジャムとチーズも出しておいた。
「お待たせ、ご飯できたよ」
ご飯ができたことを伝えに部屋へ戻ると、彼はベッドに腰掛けて窓の外を眺めていた。
この子、改めて見ると凄く綺麗な顔をしてるんだな……。昨日はとにかく必死で、美形なんて思う余裕もなかったから、ついしげしげと眺めてしまう。
星屑を編み込んだような銀髪に、左右で色の分かれた瞳。右目にある泣きぼくろが、冷たい雰囲気を少しだけ和らげている。――綺麗なのにどことなくアンバランスで、不思議な魅力を感じる少年だった。
▽
中々動こうとしない少年を、半ば強引に連れて来たはいいものの、彼は中々食事に手をつけようとしなかった。もしかして、嫌いな野菜があったんだろうか。内心首を傾げながら、湯気のたつスープを口に運ぶ。
「あの、食べないの……?」
「………」
「もしかして苦手な野菜とかあったかな? ごめんね、気が利かなくて……。良かったらパンだけでも食べてよ」
どんなに勧めてみても、彼が口を開くことはなかった。それどころか、食事を促すほどに視線は鋭くなっていき、ピリピリとした空気が肌を刺す。
スープを食べないのはまだわかるけど、パンすら口にしないのは何でだろう。どうすればいいか分からずに考えあぐねていると、ふとある言葉が脳裏に甦ってきた。
『知らない人から渡されたものをホイホイ口に入れるな! 毒でも入ってたらどうするんだ!』
小さい頃、一人で遊んでいる時に偶然近くを通りかかった旅人から、お菓子を貰ったことがある。初めて見る食べ物が嬉しくて、家に帰ってこっそり食べようとしたのだが、あえなく見つかり没収された。
当時は酷い酷いと泣き喚いたものだけど、今考えれば心配してくれていたのだとわかる。
……考えてみれば確かにそうだ。彼の刺し傷は十中八九誰かにつけられたものだろうし、あんなに酷い目にあった後では、警戒するのも理解できる。
「ちょっと待っててね」
未だ手をつけられていないスープとパンを回収し、鍋に戻して温めなおす。ほかほかと湯気が立ち始めたら、再びよそって彼の前に置き、新しいスプーンを取り出した。
少し行儀が悪いけど……。
彼の側に立ったまま、温かいスープを一口分だけ掬ってこくりと飲み干す。次にパンを千切ってお手製のジャムをつけ、これもよく噛んだ後に飲み込んだ。
「大丈夫、毒なんて入ってないよ」
「………」
彼は驚いたように少しだけ目を見開いて、おずおずとスプーンを手に取った。あんまり見られていると食べにくいだろうから、気にしていない体を装って、自分も食事を再開する。
「美味しい……」
ぽそりと呟かれた言葉に、じんわり胸が熱くなる。人に食事を振舞い、美味しいと言われたのは、何年ぶりだろうか。
「おかわりもあるからね」
会話なんてものは殆ど無かったけれど、どこか温かい雰囲気の食事会は、空っぽの鍋で締めくくられた。
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