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ヴィラと暮らすにあたって決めた約束が二つある。
一つは互いに詮索しないこと、これは彼からの条件。もう一つは勝手に出て行かないこと、これは僕からの条件だった。怪我が治る前にふらっと消えられては困る。そう思って提示した条件だったのだが、彼は意外と素直に受け入れてくれた。
なんとか歳だけは聞き出したのだけど、驚いたことにまだ十三歳になったばかりらしい。大人びているから、てっきり十五歳くらいかと思ってた。本来であれば、まだ親元で暮らしている年齢だろうけど……。
多少気になるところではあったが、ヴィラからの条件である詮索にひっかかってしまうので、深入りするのはやめておいた。
「ヴィラ~、薬草取りに行くけどついてくる?」
ヴィラと暮らし始めて早くも五日。
足首を捻っているため、基本的にはベッドで安静にしてもらっていたのだが、そろそろストレスが溜まって来る頃合いだろう。傷の経過も順調なので、気分転換になればと思って、薬草の採取に誘ってみた。
「行く」
「お、じゃあ一緒に行こうか」
春先とはいえ、朝はまだ冷える。ヴィラには僕のコートを貸して、僕はお爺さんが昔着ていたコートを引っ張り出した。古い型ではあるけれど、着る分には問題なさそうだ。
「これはトリカブラの実。そのままじゃ酸っぱくて食べれないから、皮を剥いてジャムにして食べると美味しいよ」
「あの大きいのはハナビエラの種だね。夏になったらあっちこっちに咲くんだけど、根の部分には整腸作用があるから薬として。葉には食欲増進の効能があるから薬味として重宝されてるんだ」
「あっシナゲク草だ。この草は動物の遺骸を栄養に咲く珍しい植物でね、一部では不吉だとも言われてるんだけどかなり強めの慈養強壮効果があって……」
いけない。ここ数日は家に篭っていたから、つい興奮気味になってしまった。返事がないのはいつものことだけど、ヴィラは退屈していないだろうか。
こっそり隣を盗み見ると、普段は伏せ目がちな瞳が、僅かながら輝いているようにも感じられた。どうやら、ヴィラなりに楽しんではいるらしい。
「セシェル、これはなんだ」
「わぁ、サクリナだね。春の始めに咲く花だから春を告げる植物とも呼ばれてるんだ。今年は暖かかったからいつもより早く咲いたみたい」
いくつかの薬草を採取していると、珍しくヴィラの方から声をかけてきた。しゃがんでいる彼の前には、薄ピンク色をした花が一輪だけ咲いている。
サクリナ──春の訪れを告げる花。数ヶ月の間雪の中で耐え忍び、雪溶けと共に花開き、数日で散ってしまうなんとも儚い花である。
「特に薬になるわけでも無いけど、僕はこの花が一番好きなんだ。雪の下で長い間耐え続けて、一生懸命咲いたんだなって思うと、見てるだけで元気が貰えるから」
「綺麗な花だな」
「気に入ったのなら一本だけ摘ませてもらって、押し花にしようか」
「しかし、折角咲いてるところを摘んでしまうのは……」
「ヴィラは優しいね。──じゃあ、ちょっとこっちに来て」
薬師は人の為、研究の為に植物を採取する。その根本にある感謝の気持ちを決して忘れることはないけれど、それは次第にすり減って、いつしか日常に成り代わる。ヴィラの純粋な言葉を受けて、改めて背筋が伸びたような気分だった。
さっき見たのは、風で飛ばされた一粒の種が花開いたものだろう。あれが咲いているということは……あぁ、やっぱり。
森の中にぽつんとある、広場とも言えないような大きさの開けた空間。そこには、薄ピンク色の花が満面に咲き誇っていた。
「ここに咲いてるサクリナは、さっきのと比べて花びらが開ききってるだろ? 花が開ききるまでには大体四日かかるんだけど、満開まで咲いたサクリナは、一日と経たずに枯れてしまうんだ」
「短い命なんだな」
「そうだね。だから君が大切にしてくれるのなら、この子たちもきっと歓迎してくれる」
今にもこぼれ落ちそうなほど開ききった一輪を指さすと、ヴィラは恐る恐る茎に触れた。プチ、と小さな音がして花が地面から遠ざかる。
鞄からハンカチを取り出して渡すと、彼は壊れものに触れるような手つきで丁寧に包み、少し迷った末に左の手のひらに乗せて立ち上がった。おおかた握り潰しそうで怖いのだろう。
「花が傷まないうちに帰ろうか」
大切に持ち帰られたサクリナは、本に挟んでヴィラの枕元に置かれることになった。
数日後、綺麗に仕上がった押し花は、写真立てに入れて飾られている。毎朝眺めては目元を和らげている様子を見るに、かなり気に入っているようだ。
──この日から、毎日の散歩が僕とヴィラの日課になった。
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