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第三章 予感
一緒に暮らし始めて一月が経った頃、怪我が完治したヴィラは、少しずつ家事の手伝いを申し出てくれるようになった。
お言葉に甘えて洗濯をお願いしたけれど、正直、普段の様子からして家事が出来るとは思えない。そのため、木の影からこっそりヴィラを見守っている最中なのである。言うなれば、これは試験だ。
(……頑張れ!!)
心の中で声援を送っていると、ヴィラは石鹸と洗濯物が入った桶を見比べた後、洗濯桶に水を注いだ。よしよし、順調だぞ。あとは擦りながら洗えば───。そんな思いも虚しく、ヴィラは石鹸を丸ごと洗濯桶に落とし、少し離れた場所で口を開いた。
「𝖂𝕴𝕹𝕯」
ゴオッッーー途端に周囲の木々を揺らすほどの強風が巻き起こった。驚いた鳥たちが、バサバサと逃げていく。洗濯物が泡だらけになって空に舞い上がるところを呆然と眺めていたけれど、その音にハッとして我にかえった。………ちょちょちょ、
「ちょっと待てーい!!!」
いきなり響いた大声に、ヴィラがびくりと肩を揺らしてこちらを向く。洗濯桶から巻き起こった風は、泡と水をまとって、トルネードのように渦巻いていた。洗濯物も当然巻き込まれて、一緒にぐるぐる回っている。
遠目から見ていてもそうだったけど、いざ目の前にすると、より一層不思議な光景だ。
「ヴィラ、ちょっと一旦魔法解除しようか」
彼が指を動かすと、トルネードのような風はゆっくりと治まっていき、最後には泡だらけになった桶と洗濯物だけが残った。
恐る恐る近づいてみると、シャツやタオル、ズボンにいたるまで、綺麗に汚れが落ちて真っ白になっている。やり方はとんでもなく荒かったけど、洗濯としては百点だ。プラスマイナスで、五十点といったところか。
未だに不安そうな顔をしているヴィラを振り返る。手を伸ばすと、僕に怒られると思ったのか、小さく肩を揺らしていた。
「洗濯物、すごく綺麗になってた。大声出してごめんね。手伝ってくれてありがとう」
「あ……」
ぽんっと頭に手を置いて、柔らかい髪をゆっくりと撫でる。別に僕は怒ってなんかいない。誰だって最初は失敗するものだし、自分なりのやり方を見つけていけば良いだけなのだ。……まぁ、かなり驚きはしたけどね。
「でもやり方は荒すぎるから、もう少し工夫しないとね。あと石鹸使いすぎ」
「すまない」
「だから~怒ってないって。ほら、一緒に水洗いして干しちゃおう」
泡だらけになった洗濯物を水で濯ぎ、しっかりと水気を絞る。裏庭にある木の間に太い紐を張って、一つ一つ皺を伸ばしながら、留め具で固定していけば完了だ。ヴィラは慣れない作業に戸惑いながらも、僕の真似をして頑張っていた。
ようやく全部干し終えると、大きく伸びをして肩を鳴らす。今日は天気がいいから、洗濯物もよく乾きそうだ。
「風魔法で乾かした方が早いんじゃないのか」
「うーん、ずっとこれでやってきてたからなぁ。確かに風魔法で乾かせば早いけど、この干し方でしか味わえない魅力もあるんだよ」
「魅力……?」
「この洗濯物が乾いたら教えてあげる。さ、家に入ろう」
▽
その日の夕方、僕が夕食を作る間に洗濯物を取り込んで欲しいとお願いしておいた。今日の夕飯は鹿肉のシチューとオムレツだ。
時間がかかるシチューの仕込みを終えて一息ついていると、洗濯物を両手に抱えたヴィラが、リビングへと戻ってきた。
隣に座るよう促して、自分は少し横にズレる。お爺さんが若い頃から愛用していたというソファは、少しの揺れでも軋んで音を立てる年代物だ。
少しの軋み音を立てて、ヴィラが隣にゆっくりと座る。ーー今がチャンス! 目についたタオルを素早く抜き取って、ふかふかのそれを、勢いよくヴィラの顔に押し当てた。驚いて硬直した腕から、洗濯物がこぼれ落ちていく。
「どう?」
「どう……とは?」
「お日様のにおいがしない?」
ヴィラの顔からタオルを剥がして、にんまり笑う。お日様の光を浴びて乾いた洗濯物は、あったかくてどこか懐かしい匂いがする……というのが、僕なりの持論だ。
お日様の匂いは一種類だけではなくて、野苺が一斉に実った日は甘い匂い、雨が降った次の日は深い緑の匂いなど、季節や天気に合わせてほんの少しずつ色を変える。それが、手作業でしか得られない魅力だった。
「おーい、ヴィラ? 聞いて……んぶっ……!」
「仕返し。はは、少しわかった気がする」
「え、今笑った? 笑ったよね」
「笑ってない」
ヴィラは、僕の話をただ静かに聞いていた。あまりにも静かすぎて、本当に聞いているのか心配になる。顔を見ようと横を向いた瞬間、顔面にふかふかしたものが押し当てられた。
潰れたような声が出て、お日様の匂いが胸一杯に広がる。そんな僕を見て、ヴィラは少しだけ笑ったようだった。
嘘、今までただの一度も笑った事ないあの顔が!? 見たい、見たすぎる……! 顔に張り付いたタオルを剥がそうとしたけれど、ヴィラの方が力は強いし、次第に息が苦しくなってきたから諦めた。
もちろん、タオルが取られた頃には、スンと澄ましたいつもの真顔に戻っていた。……今回は譲るけど、いつか絶対笑わせてやるからな!
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