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「だから!私はやっていません」
「みんなそう言うんだよ」
一方的な警部。腕を解かれた繭子、取り調べ室にいた。尋問係は笑みを浮かべていた。
「お前はあれだ。そんな傷の顔があるから。社長に気に入られようと、こんなことをしたんだ」
「どうやって?私がどうやって火をつけたと言うんですか」
「はあ?」
真顔の繭子は警部を見つめた。
「私は青山ビルにいたし。それに、倉庫で仕事中の人がいるのに、どうやって見つからずに火をつけるんですか」
「お前は以前、トロッコ係だ。内部に詳しいはずだ」
「もし、今の話が本当なら。あんなに倉庫の奥の洋酒なんかに火をつけません」
「なんだと」
堂々としている繭子。これに警部は怒りに震えていた。
「口答えするな!貴様は嘘を言っているんだ」
「嘘を言っている証拠を出してください。それをせずにどうして私を犯人にするんですか?他を調べずに」
「うるさい黙れ!」
「……警部、ちょっと」
ここで、弁護士がきたと警察は話したが、繭子は留置所に入れられてしまった。狭く古い牢屋。夕刻。繭子はここで膝を抱えていた。
……ああ。疲れたわ。
縛られたせいで手首が赤くなっていた。これをこすりながら、繭子はいつの間にか、寝てしまった。
◇◇◇
「では、あの洋酒の持ち主に連絡がついたのか」
「はい!」
午後、青山の部下が荷主に会いに行くと、その荷物の内訳を詳しく聞いてきた。
「これによると、イタリアの高級ブランデーがほとんどですね」
「だが。現場のガラス瓶のラベルはアメリカ産の葡萄酒だったぞ?」
「それについてですが、気になることがありまして」
森田。部下からの報告を聞いた。
「最近入ったトロッコ係の若い男で渡部健というのがおります。この男は金が必要だといい、夜の酒場でも働いておるそうです」
「で?」
「はい。その渡部が、今回の洋酒が置いてある十八番をウロウロしていたのを、トロッコ係が目撃しております」
「……そうなると」
静也は立ち上がり、部屋を歩き出した。
「渡部は高級ブランデーを持ち出し、安いアメリカ葡萄酒とすり替えていた。そして、酒場にてその酒を売っていたとか?」
「可能性は、ありますね」
「証拠は……そうだ、ブランデーの瓶を探せば良いのではないか」
静也の案。これに森田。首を横に振った。
「それはとっくに海の中に捨てて、証拠を隠滅してますよ」
「なら、このアメリカ葡萄酒はどこから手に入れたんだ?それの購入先を調べれば、渡部が出てくるのではないか」
「おお!早速調べましょう」
嬉々とした森田。しかし静也の目は怒りに光っていた。そして彼は、あるところに電話をしていた。
その夜、彼女は酒場に来ていた。
「初めまして。私、こう言うお店に一度来てみたかったのよ」
「小樽の名士、お蝶様に来ていただけるなんて、光栄です。自分はオーナーの次郎です」
「若いのにやり手なのね。ええとでは、まずはお酒をいただこうかしら」
ボーイがたくさんいる店。ここの奥の席に座ったお蝶。付き添いの女とやってきた。二人には店のオーナーの次郎と、二番人気の男が接待をした。
「ささ、お蝶様、どうぞ」
「このお酒は?」
「はい。ポルトガルの葡萄酒で」
「あら」
お蝶は眉を顰めた。
「私、最初はブランデーと決めているのよ」
「これは?失礼しました」
次郎。出直してきた、その手には洋酒の瓶があった。
「お蝶様に対して、無礼をお許し下さい。では、こちらはいかがですか?イタリア産の最高級ブランデーです」
「それにしてちょうだい」
お蝶の言葉で店のボーイ達も乾杯した。お蝶はこれを飲んだ。
「ああ、まさにこの味よ。最高の気分よ」
「喜んでいただけて、光栄です」
次郎の微笑み。お蝶も微笑んだ。
「ここはいい店ね。従業員達も挨拶ができているし」
「ありがとうございます」
「ええと、そこのあなた。名前は?」
「僕はケンと申します」
「素敵な名前ね、気に入ったわ、あなたとお話したいわ」
こうして。ケンと二人になったお蝶。彼と楽しくおしゃべりをしていた。
「ところで。あなた、その腕はどうしたの?」
「う、腕ですか」
「ええ。怪我でもしているの?動きが硬いけど」
「ま、ああ、その。実は」
黒服のケンは、台所で火傷をしたと笑った。
「服の袖にコンロの日が燃え移ってしまって。恥ずかしいので誰にも言わないでくださいね」
「ほほほ。そうでしたか」
「あの、お蝶夫人。できれば次回からでいいんですが」
ケンは自分を指名して欲しいと耳打ちしてきた。
「あなたの美しさに、心を奪われてしまいました」
「まあ?こんなおばさんなのに」
「そんなことありません。あなたはお美しいです」
「嬉しいわ……じゃ、次のお店に一緒にいきましょう」
手を握った二人。店を出て車に向かった。
「どこの店に行くのですか?」
「私の行きつけよ。さあ、あなたから乗って」
夜の暗がり。車の後部座席に乗ったケン。その奥にはすでに男性が座っていた。彼は微笑んだ。
「どうぞ。もっとこちらへ」
「ん。君も婦人と行くのかい?」
「いや?」
見ると。夫人は車のドアを表から閉めた。
「え。夫人は?」
「車を出してくれ。さあ。一緒に行こうか」
「……え。あなたは、まさか!」
隣席の静也の微笑み。ケンは真っ青になった。
◇◇◇
「おい。傷者、出てこい」
「……眩しい?」
「いいから。出てこい」
いつのまにか真夜中の牢屋が開いていた。そこから出てきた繭子は廊下の奥へへ通され、部屋に入った。
「繭子!」
「社長。これは一体」
「おお。繭子」
疲れ切った繭子を静也は人目も憚らず抱き締めた。いつの間にか警部が気まずそうに頭をかいていた。
「あのですな。青山さん、この件はその」
「証拠はそのブランデーですよ。酒場にあったブランデーと、倉庫に残っていたものは、味が一致です。まあ、警察で再検査してくれて良いですか」
次郎の店にあったブランデー。お蝶夫人は密かに持ち出していた。そして彼女は、これらが同じ洋酒だと警察に説明をした。お蝶夫人の意見に警部は汗を拭いていた。
「それは確認しますが。その上の方にはちょっと、その」
「内密にせよと言うのか……」
静也、そっと繭子の手を掴んだ。
「この傷、この仕打ち。そして調べもせずに彼女を牢屋に入れるとは」
「す、すいません」
「すいませんで済めば、警察はいらないんじゃないですか?」
恐ろしい凄みの静也。思わず繭子は彼の腕を抱きしめた。
「もういいです!社長」
「離せ!こいつを牢屋にぶち込むんだ!」
「なりません!あの、それで、結局犯人は?」
「あ。ああそうだった」
冷静になった静也。繭子に話し出した。
「犯人は最近入ったトロッコ係の若い男だったよ」
「では、洋酒を安いお酒に取り替えたのを、誤魔化すために放火したんですか」
「その通りだ」
静也、警察に諭すように話した。
「奴は夜の酒場で働いていたんだ。そこでは放火被害にあったブランデーが格安で提供されていたし、火事の現場にあった安い葡萄酒と同じ瓶が店にあったんだ」
「そうですか」
繭子、ちょっと思案した。これに静也が引っかかった。
「まだ何かあるのか」
「いえ?その、こんな大きなことが一人でできるのかしらって」
「……繭子」
「だって。お酒の瓶は重いですよ。私も運んでいたので知っています。それに、お酒が燃えるのはわかりますが、あの現場はすごく燃えてますもの。だからきっと、安いお酒の瓶には、燃える油が入っていたんじゃないでしょうか」
「警部!」
「はい?」
静也ににらまれた警部、思わず敬礼した。
「今の話を調べて下さい」
「は、はい!至急、調査します!」
「わかっていると思いますが」
静也、警部に迫った。
「奴の店の捜査!加えて容疑者の自宅の捜査!他にも協力者がいる可能性があります!それを調べて下さい!」
「は!」
「繭子、他には何かないか?」
「え?今すぐはちょっと」
「では帰るぞ!あとは森田、頼むぞ」
いつの間にか背後にいた森田と弁護士、二人に後始末を頼んだ静也、待たせておいた車に繭子と一緒に乗り込んだ。雨が降っていた。
「出してくれ」
「あの、社長、今夜はもう遅いので、寮のみんなに迷惑かけてしまうので、私は会社に」
「あのな。繭子」
静也、繭子をジロと見つめた。
「俺がどれだけ心配したか、わかっているのか」
「す、すいません」
「許せない。人がせっかく」
ぶつぶつ話す静也、繭子はドキドキしていた。ふと気がつくと。車は寮でも会社でもない道を進んでいた。
「あの、社長、どこに行くんですか」
「黙れ」
「でも」
しかし、すっかり膨れてしまった静也は黙ってしまった。そして車はある邸までやってきた。
「降りろ」
「ここは……もしかして、社長のお邸ですか」
「遅い時間だから。何も話すな」
そして真夜中のドアを開けた。そこでは老齢の女使用人が出迎えてくれた。手首に怪我をしていた繭子は、彼女から手当を受けた。そして静也にお休みの挨拶をすることなく用意された部屋で倒れるように布団に入った。
……このお布団、社長と同じ匂いがする……
夏の夜、久しぶりの畳の部屋。窓からの雨音を優しく聴きながら眠る繭子の寝顔は、穏やかだった。
完
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