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 6月になると、あたしは憂鬱になる。空が灰色の厚い雲に覆われる梅雨時が憂鬱にさせるわけではない。むしろ、毎日空が灰色であって欲しいと思うぐらいだ。 しかし、あたしの希望とは裏腹に空は青く輝き出す。この時点であたしの憂鬱はピークを迎えてしまう。  6月未明のある晴れた日、あたしは教室の窓際の席より綺麗な青空を見て憂鬱となった。 担任の渡辺先生の授業そっちのけで「雨ふれー、雨ふれー」と青空に向かって呪いの言葉を投げかけていたのだが、無駄だった。 何をやっていたのかがわからない授業が終わった瞬間、渡辺先生があたしたちに向かって教室の後ろまで通るような大きな声で叫んだ。 「次の体育の時間はプールだからなー! 水着に着替えてプールに集合!」 その瞬間、教室が歓喜に包まれた。夏の()りで蒸し暑い中で行われるプールの授業は簡単に涼を得ることが出来て有り難いのだろう。それに他の体育の授業と違って「石拾い」や「水中じゃんけん」などと遊びの側面が強く、体育本来の意味である「座学授業の息抜き」と言う目的を達成しており「楽しい」からこんな歓喜に包まれるのだろうか。 いずれにせよ、一切泳ぐことが出来ないあたしからすれば関係ない話だ。 そう、あたしは一切泳ぐことが出来ない。水が怖い訳でもないし、昔、溺れたなどと言う心的外傷(トラウマ)がある訳でもない。ただ、単に泳げないだけである。あたしが生きてきた12年の間に何度かプールに遊びに行ったことはあるのだが、一度たりとも単身で水に浮いたことがない。浮き方がわからないのだ。水に入って力を抜けと言われても、気が付いた足をプールの床につけてしまう。水中で力を抜けば自然に水に浮くなんて嘘っぱちだ。人間は水に浮くようには出来ていないとあたしの宇宙では定まっているのである。この宇宙の法則は乱れることはない。  プールの授業が始まった。あたし達6年1組の一同はプールサイドにて体育座りとなり、渡辺先生の指示を仰いでいた。 「今日はまず、皆がどれぐらい泳げるかのチェックを行う。タイムも計るからなー! 終わったら邪魔にならないところで遊んでていいぞー!」 これが嫌なんだ。あたしは泳げない故に毎年の記録は//で書かれて「記録なし」とされる。そのせいか、一学期の体育の成績は2か3にされてしまう。二学期・三学期の持久走や球技を中心とした体育の授業の時は4と5と評価されるのは、やはり一学期の水泳が足を引っ張っているのは明白である。 自慢ではないが、あたしは運動神経が抜群と周りの友達に言われる。春先に行われる体力測定でも総合評価Aとされ、市から「健康優良児」と御墨付きを頂く程なのだから、運動神経は抜群なのだろう。  そんなあたしが泳げないのは、あたしだって不思議に思うし、あたしを担任してきた歴々の先生方も不思議に思いながらも一学期の成績を下げているのだろう。
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