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南から、一号棟、二号棟、三号棟と並ぶ校舎の中で、最北の三号棟は閑散とした建物だった。一階には一年生のホームルームがあるため人の出入りがあるが、二階から四階までは特別教室しかなく、昼休みになっても人影はほとんどない。特に四階の西の角、第三音楽室は今や授業ですら使われず、吹奏楽部が放課後のパート練習で利用する以外には備品倉庫としてしか機能していなかった。
それでも音楽室という名がつくだけあり、室内は防音壁に囲まれ、黒板の前にはグランドピアノが置かれている。『無断入室厳禁』という貼り紙が入り口の扉にされているのは鍵が壊れているからで、いつまで経っても直そうとしないのは学校側の怠慢だと聞いた。扉がいつでも開くことを知っているのは教職員と吹奏楽部員くらいで、たいした害はないだろうと放置しているらしい。写真部員の透子がこの事実を知っているのは、学校の裏事情に精通している者と親しいおかげだ。その人の片腕として、放課後、透子はカメラマンを務めることになっている。
なるべく音を立てないように扉をスライドさせ、作ったわずかな隙間にからだをすべり込ませるように入室する。首から提げていたカメラをあいている席の一つに置き、ピアノに一番近い窓を細く開けると、さわやかな春の風が白いカーテンの裾を揺らした。
鍵盤蓋を開け、右の人差し指で鍵盤を一つポーンとたたく。低い。また少し低くなっている。鳴り響いたソの音に、透子はわずかに顔をしかめた。
扉の鍵を直す人がいなければ、ピアノを調律してくれる人はなおのこといない。放置されたピアノはすっかりやさぐれ、正しい音を見失っていた。それでもどうにか音を響かせ、鍵盤をたたけば音が出るピアノという楽器の体裁だけは守り続けてくれている。透子にはそれで十分だった。
椅子に座り、鍵盤に両手をそっと載せる。奏でたい音を頭の中に強くイメージして、右手からゆっくりと鍵盤をたたき始めた。
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