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 静かに、悲しげに始まる曲。抑圧された苦しみを音の粒の一つ一つに乗せ、丁寧に、正確に奏でていくことが求められるこの曲を、透子は意図して歌うように、波が連なってうねるように弾いた。  ハンガリーの作曲家、フランツ・リストの名曲『ラ・カンパネラ』。憧れのピアニスト、フジ()・ヘミングの感情的で物語が見える演奏に魅了され、透子も技術だけを追うのではなく、あえて重めに、速く軽やかには弾かない演奏に変えた。リストは超絶技巧で美しく奏でる曲をいくつも書いた天才で、演奏家も彼の意をくみ、正確なタッチと透き通るような音の響きを保った上でテンポを上げるなど、巧みな演奏技術で魅せるアレンジをする者が多い。そうした演奏の素晴らしさも、それこそが聴衆の求めるところだということももちろん理解しているけれど、芸術とは受け手の好みによって評価が大きく変わるものだ。透子にとっては、あえてゆっくり、ドラマチックに弾くフジ子・ヘミングの演奏が、どのピアニストの『ラ・カンパネラ』よりも好きだった。  フジ子・ヘミングの『ラ・カンパネラ』は、中盤までずっと苦しみの中をもがき続けたのち、クライマックスで一気に感情を解放し、叫ぶような演奏に変わる。小さな波の集まりが、最後には大波となって聴く者を襲い、まるごと一息に飲み込んでしまう。心の奥深くに突き刺さる彼女の叫びは他の追随を許さない。序盤の静けさが嘘のように、圧倒的な激しさとストーリー性を維持したまま駆け抜けるように終わっていく。拍手をすることを忘れるくらい、心を持っていかれる演奏。  あんな風に弾けたらいい。そんな夢を見ながら、透子はいつもこのやさぐれた鍵盤と対話した。絡まりそうになりながら指を動かし、譜面どおり音を鳴らすことを心がけ、その上で自らの感情を音に乗せ、歌うように弾く。この想いにピアノがこたえてくれることを祈りながら。  少し前までは、今よりもずっとなめらかに指が動いた。終盤に入るトリルの音の粒ももっときらびやかだった。このピアノそのものに問題があることは別にして、音が濁り、強弱のつけ方が甘くなってしまっているのはひとえに、透子の技術が衰えた証だった。  最後の和音をやや乱暴にたたき、ふわりと腕を高く浮かせて鍵盤から指を離す。約五分間の演奏を終え、軽く息が上がっていた。  教室内に吹き込む風が頬を撫でる。演奏中は少しも感じなかったのに、涼しくて気持ちがいい。  細く息を吐き出すと、背後から誰かが拍手をする音が聞こえてきた。誰もいないはずのこの部屋から、なぜ。  飛び上がりそうなくらいびっくりして、全身の毛穴が一瞬にして開くのを感じながら、透子は背後を振り返った。閉めた扉の前に立っていたのは、まったく知らない人ではなかった。
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