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「大学は音大に?」  緊張のあまりもたついた透子がありがとうと伝えるよりも先に、真寛が話を前に進めた。透子は「まさか」と首を横に振り、視線を下げた。 「ピアノは、もうやめたから」  高校受験を控えた中学三年生の夏。透子はかよっていたピアノ教室をやめた。音大受験を視野に入れた意欲的な生徒ばかりがかよい、先生の実力も、生徒たちの修めた実績も確かな教室で、何人ものピアニストを輩出している名門だった。  そのうちの一人は、透子のよく知る人物でもある。 「そうなんだ」  真寛は透子のすぐ隣まで歩み寄る。とくん、と大きく脈打った心臓の鼓動がみるみるうちに速くなる。  透子が場所を譲るように椅子の前から離れると、真寛の右手がふわりと鍵盤に載せられた。 「もったいないな、これだけ弾けるのに」  右手一本で、真寛は『ラ・カンパネラ』の主旋律をなぞるように弾いた。初心者の指づかいではない。ピアノが好きで、一生懸命練習してきた指だった。 「弾けるんだね、暁くん」  右手だけで奏でられたリストの調べは美しかった。真寛は淡々と「習ってたんだ、小学生の頃」とこたえ、演奏をやめた。 「意外?」  まっすぐに目が合う。透子はすぐに視線をはずし、首を振った。 「わたしのかよってた教室にも、男の子、たくさんいたから」 「そうだよな。別にめずらしくもないか。世界で活躍するピアニストには男性が多いし」  まだ弾く? と真寛に尋ねられる。透子が否定すると、真寛は鍵盤蓋を静かに下ろした。埃っぽいにおいがかすかに鼻の奥を突く。 「知ってたんだ、ここの鍵が壊れてること」  責めるような口調ではなく、なにげない日常会話といったトーンで真寛は言う。怒られているのではないとわかっているのに、透子はとっさに「ごめんなさい」と返した。 「ダメだよね、勝手に入っちゃ」 「いいよ、問題ない。俺もたまに、ここへ来るから」 「ピアノを弾きに?」  ()いてから、野暮な質問をしてしまったと気づく。透子は慌ててピアノから離れた。 「ごめんなさい。わたし、邪魔してるよね」 「まさか。……いや、本当は弾きに来たんだ、ピアノを。でも、きみの演奏を聴いて満足した」  真寛はさわやかな笑みを透子に向けた。本当に満足したのか、透子に花を持たせてくれたのか、どちらの意味の微笑なのか、透子には判断できなかった。  始業五分前の予鈴(よれい)が鳴る。「戻ろう」と声をかけてくれた真寛とともに、透子は首からカメラを提げて第三音楽室を出た。彼とはクラスメイトなのに、まともに言葉を交わしたのは今日がはじめてだった。  でも、今日はもう一度、彼と接する機会がある。  放課後、透子は真寛の写真を撮ることになっている。クラスメイトの、ではなく、生徒会長の真寛をだ。
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