幸福の実

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 むかし、むかし、まだ自然界の(ことわり)が、全て神様の仕業だと信じられていていた時代の話。  ある街にテオという男の子がいました。  テオのお父さんはテオが産まれてすぐに病気で亡くなり、テオはお母さんと一緒に二人で暮らしていました。  「ママ、お弁当はまだ?」とテオはお母さんに訊ねた。  「はい、はい。お弁当よ」とテオのお母さんは言い、テオにお弁当を持たせた。  テオは今日、幸福の芽を探しに行く予定になっていました。    テオが玄関を出ると、テオのお母さんもテオを見送るために一緒に庭に出た。テオのお母さんはテオを抱きしめ、「今日も一日、楽しんできなさい」と言ってテオを送り出した。  テオは、「うん、行ってくるよ」と言って、歩いていきました。    テオのお母さんは、そのまま庭の花壇に水をやり出しました。バケツに汲んだ水を柄杓(ひしゃく)を使い、鼻歌を歌いながら楽しそうに水を与えていました。花壇には小さな芽が顔を出していました。今日は春の陽気が気持ちいい朝でした。  テオが振り返ると、テオのお母さんはそれに気づき、柄杓(ひしゃく)を大きく振りながら、「行ってらっしゃい」と叫びました。  時は遡り、その年の冬。街にある旅人が来たときの話になります。  テオの街は気候に恵まれ、多くの農作物が採れ、豊かな街でした。なのでテオの街には多くの旅人が寄ることがあったのです。  この街では旅人を大変歓迎しました。その歓迎のお礼に旅人は、街の子供たちに旅で知った知識を教えていました。  そして冬に来た一人の旅人が、子供たちにこんな知識を教えたのでした。  春になると、ハートの葉をした植物の芽が出る。それを幸福の芽と我々はそう呼んでいる。その幸福の芽は、空気のいい場所にしか生息しない。森の中、滝の近く、山の頂上。人間もその場所に行けば、気分が良くなるような所に、その植物は芽生える。  幸福の芽に毎日水をやり、世話をすると、ハートの花びらの青い花が咲く。それを幸福の花と呼ぶ。しかしその花が咲くのは珍しいことで、なかなか見ることが出来ない。かく言う私も、幸福の葉は見たことあるが、幸福の花は見たことがない。  さらに花が咲いた後、どうやら実を付けるらしい。幸福の実を。    遠く遠く西の方向に進むと、砂の国がある。その砂の国が栄えている理由は、初代の王様がその実を食べたからだという言い伝えさえある。初代王様はかれこれ三百年前の王様だから、それ以来、その幸福の実を食べた人物は誰もいない。  旅人は、自分の手帳を見ながら、子供たちに伝えた。  テオは旅人の手帳を覗き込んだ。いっぱいの文字が書いてあった。  この時代、印刷というものはなかった。だから本というのはとても珍しい品で、文字がいっぱい書かれている手帳でさえ、見るとワクワクさせられるものだった。  しかし旅人の話というのは、全般的に信用できない話のほうが多かった。いろんな旅人がテオの街にやってきては、自分の知っている知識を話してくれるが、どうも空想のような話ばかりだった。  ドラゴンの爪を持つと力が強くなるとか、人魚の鱗を持つと若返るとか、ペガサスのたてがみを持つと空を飛べるとか、ほとんど、おとぎ話のような話ばかりだった。  旅人は子供を楽しませるために、そういう話を作っていると、もっぱらの評判でした。小さな子供は騙せても、テオくらい成長した子供は、だいたい嘘だと分かってしまう。それでも物語自体は楽しく聞けるので、多くの子供たちは旅人の話を聞くために集まってきました。  今回の幸福の芽の話も、疑わしい内容でしたが、街の領主からは賞金が提示されたのでした。  幸福の実を育て献上した者には褒美として金貨五枚を与えるということでした。金貨五枚は、テオたち親子がゆうに半年は暮らせるほどの金額でした。  まあ、領主も本気で幸福の実の存在を信じてはいませんでしたが、ハートの葉の植物の目撃例は以前からあったのと、あとは緑のない砂の国が栄えているという不思議もあったからでしょう。  街のほとんどの人は賞金が出ても、旅人の話なんて鵜呑みにしませんでした。それは子供でさへ。    そもそも秋に実になるという保証もないし、秋まで世話を続けるぐらいなら仕事をしていたほうが確実に稼げる、と思っていました。  幸福の芽を探そうとするのは一部の子供ぐらいでした。そして、その一人がテオでした。  テオは賞金も欲しかったですが、なにより楽しそうだと感じていました。見知らぬ物を調べることは、テオの好奇心をくすぐりました。だからテオはお母さんに頼み、お弁当を用意し、探しに行くことにしました。  テオは街を出て一時間ほど歩き、森に向かいました。  テオには、幸福の芽を探す理由がもう一つありました。それは子供同士で遊ぶことが、それほど好きではありませんでした。    この時代の一般の子供たちは、勉強する必要はありませんでした。文字の読み書き、それと簡単な数字の計算さえできるようになれば良かったのです。日中、子供のすることは、子供同士で遊ぶことだけです。  そして体が頑丈になり、力が付いた子から、大人と一緒に働くことになります。  テオは早く働きかった。それはお父さんがいなく、お母さんだけが働いているため、家が貧しかった。だから、自分が働ければ、少しでもお母さんを楽させたい、と思っていました。  でもテオは体が小さく、力も弱かった。だから子供同士の遊びでも、かけっこをしても、押し合いっこをしても、いつも負けていました。最近になりテオは、外で遊ぶのが嫌いになっていました。  もちろん働ける場所もなく、まだまだ働けるようになるまで時間が掛りそうです。  テオは森の中に入ると、少し歩き回りました。そして自分の気分に意識を向けた。自分の気分が良くなる場所を探したのです。  それは幸福の芽は、空気のいい場所で、人間が気分の良くなる場所に生息すると、旅人が言ったからです。この広い森の中で、それ以外、幸福の芽を探す方法はなかったからです。  テオは気分の良くなる場所を見つけ、その周辺の地面を見渡しました。するとすぐに、ハートの葉をしている芽を見つけたのです。テオは拍子抜けしました。一生懸命に探しても、なかなか見つからないものだと思っていたので。  テオは幸福の芽の周りに生えている雑草を抜き、辺りを綺麗にした。そして持ってきていた水筒の中の水を、半分ほど幸福の芽に与えました。  テオは、実がなるかどうかは半信半疑でした。だけど、幸福の実のことを考えるとワクワクせずにはいられません。  幸福の実を食べたから砂の国が栄えたなんて、そんな作り話は信じていませんでしたが、でも領主に渡せば、確実に金貨五枚が貰える。働けないテオには、幸福の実は希望になりました。  テオは幸福の芽を眺めながら、お母さんに作ってもらったお弁当を食べました。  そしてまた一時間かけて街に戻りました。街に戻ると、幸福の芽を探しに行った子供たちのほとんどは、幸福の芽を見つけていました。  テオは少しガッカリしました。自分だけが見つけたのかと思ったら、みんな見つけていたなんて。そんなに珍しい植物ではないんだな、と分かりました。 【不幸は勝手に目に飛び込んでくるけど、幸せは見つけようとしないと見えないよ】  幸福の芽を見つけに行った子供たちは十五人ほどいました。みんな街から歩いて一時間以上離れた場所で見つけていました。テオと同じように森の中で見つけた子、山の上で見つけた子、谷を降りた滝の近くで見つけた子、みんな空気のいい場所で幸福の芽を見つけていました。  旅人が話してくれたことは本当のことかもしれない、とテオは淡く期待しました。  幸福の芽がいくつも見つかったことは領主に耳にも届きました。領主は幸福の芽を見つけた子供は、毎日水やりに行くようにと命令しました。  朝、テオは幸福の芽について、お母さんと話し合いました。  「もし幸福の実がなれば、金貨五枚だよ、ママ。半年は生活するのに困らなくなるよ」とテオは喜々として話しました。  「テオは優しいね。家のことを心配してくれてるのかい?でも心配しなくてもいいよ、ママが一生懸命に働いているから。テオはやりたいことやりな。テオが楽しんでいることが、ママは一番嬉しいよ」  「でもママ、もしお金が無くなったら困っちゃうでしょ?」  「もしものことは、考えても仕方ないわ。困ったときが来たときに、困ればいいのよ」  テオのお母さんは笑いながら言いました。テオはお母さんの言葉を聞いて、ママは呑気(のんき)だな、と思いました。  テオのお母さんは話を続けました。  「それに、毎日感謝してれば、自然と困ったことは起きないものだよ」  テオのお母さんはそう言うと、テオを抱きしめました。  「今日も水やりに行くの?」  テオを抱きしめたあと、テオのお母さんはテオに訊きました。テオは「もちろん」と答えました。テオは、お母さんからお弁当を受け取り、また森に行くのでした。  幸福の芽を見つけて、数日が過ぎました。テオは晴れた日は毎日、お弁当と水筒を二つ持って、森まで通いました。一つの水筒は、幸福の芽の水やり用でした。  水をやりしに森に行くことは、テオにとって苦痛ではありませんでした。片道一時間も歩くのに。むしろ毎日楽しみにしてました。森に行く途中、テオはいろんな発見をしていたからです。道端に草花が育っていたり、虫が生活していたり、街の中では見られない動植物を発見することは、テオには楽しくて仕方が無かったのです。  テオは新しい発見をするたび、その日のうちにテオのお母さんに話しました。テオのお母さんはテオの発見を楽しそうに聞きました。テオはますます、森に水やり行くことが楽しくなったのです。  しかし他の子供たちは、みんなが皆、テオと同じではありませんでした。  街から一時間以上の歩くのが苦痛な子。水やりより、みんなと遊びたい子。そういう子供は結構いました。そういう子たちは、水やりをサボったり、中には、幸福の芽を自分の庭に持ってきて植え替えた子もいました。  でも、そういう子たちの幸福の芽は、次々と枯れていきました。幸福の芽を育てている子は、テオを入れて五人ほどになっていました。  五人ぐらいになると、お互いに仲間意識が芽生えました。情報交換をし、どれだけ幸福の芽が育ったか話し合ったのです。  情報を交換して、テオは少なからずショックを受けました。なぜならテオの幸福の芽が一番小さかったからです。  テオ以外のみんなは、幸福の芽は(すね)くらいの高さだというのです。テオの幸福の芽は(くるぶし)の上くらいしか育っていませんでした。  成長してない幸福の芽と、体の小さかったテオ。テオは幸福の芽が自分のことのように感じ、すごく情けない気持ちになりました。  「ママ、僕の幸福の芽が一番小さいんだ」  テオはその日あったことを、テオのお母さんに話しました。  「まだ、育てだして日も浅いから、これからどんどん伸びるわよ」  テオのお母さんは、テオを励ましました。しかしテオの顔は晴れません。  「見えてない根っこが育っているのよ」とテオのお母さんは言いました。しかし、やはりテオの顔は晴れません。  でも次の日、テオを驚かすことが起きたのです。  「テオ、この手帳に記録を付けてちょうだい」と言ってテオのお母さんは、テオに手帳と鉛筆を渡しました。「あなたが発見したことを書いて、それをママに教えて」  この時代、紙と鉛筆は貴重で高価なものした。毎日の食事さえもやっとのテオの家では尚更(なおさら)です。  「どうしたのママ?この手帳と鉛筆」。テオは驚きました。  「あなたの話が楽しくて、ママはもっと詳しく知りたくなったの。だから大変かもしれないけど、この手帳に発見したこと書いてくれる?」とテオのお母さんは、にこやかに言いました。  テオは嬉しくて仕方がありませんでした。  旅人が持っていた手帳。それを見たとき、文字がいっぱい書いてあって感動した。テオもいつかは、自分の知ったことを手帳に書きたいと思っていたのです。  その日から、またテオは森に行くのが楽しくて仕方なくなりました。いろんなものを調べては、手帳に書く。文字だけでなく絵も入れた。それを家に帰ったら、お母さんに見せました。  テオは自分の幸福の芽が小さいことは気にならなくなりました。手帳を書きだして、少しずつ、少しずつ、成長していることが記録で分かったからです。 【悩むのは暇だから。没頭は最高の現実逃避】  日は過ぎ、夏が近づき、段々と暑くなました。五人の幸福の芽はすくすくと成長していました。でも、誰のものにも花の(つぼみ)は付いていませんでした。  テオ以外の四人は、誰が一番早く(つぼみ)が付くか競争してました。テオの幸福の芽は、やはりみんなから成長は遅れ小さかった。競争の輪にすら入れませんでした。  でもテオは気にしてませんでした。なぜなら、毎日手帳を書いていたから、成長が手に取るように分かっていたからです。  テオ以外の四人の幸福の芽は膝の高さを越えました。そして四人の競争に、次第に親たちが口を出し始めました。    「暑いから、もっと水をあげたらどう?」  「朝と夕方、二回水をあげなさい」  「あの子に負けるな」  「なんで一番になれないの?」  「まだ(つぼみ)が付かないの?」  親の声援も虚しく、残念ながら四人の幸福の芽は枯れてしまいました。残されたのは、テオの幸福の芽だけになったのです。  テオ以外が枯れてしまったことで、旅人の話はやっぱり嘘だった、という噂になったのです。実なんてならないし、もしかしたら花さえ咲かない植物なのでは?という結論になってきたのです。  だから、まだ毎日水やりに行くテオを見ると、他の子供たちは揶揄(からか)うようになったのです。  「テオ、まだ水やりにやってるの?どうせ花なんて咲きっこないよ」  「実を育てた人いないんだぞ。砂の国の話も嘘に決まってるよ」  「テオは旅人の話なんて信じてるの?子供だね」  テオが森に行くたびに、街で遊んでる子供たちから忠告を受けました。しかも最後まで残っていた四人もテオに忠告したのです。  森に行くことが楽しかったテオも、さすがにテンションが下がってきました。テオは不安が溢れ、朝、お母さんに愚痴をこぼしました。  「ママ、やっぱり水やりしても無駄のかな?」  「どうしたの?急に」  「だって、みんな言ってるよ。そもそも実にならない植物だって」  「そんなのは育ててみないと分からないわよ」  「でも、いままで実になったの見た人いないんだよ」    テオのお母さんは、いつものようにテオを抱きしめました。そしてテオに言いました。    「未来のことは誰も分からないのよ。今まで実にならなかったといって、これから実にならないと断言できないのよ。実になるかもしれないし、実にならないかもしれない。結果はどうなるか分からなくても、それでもいろんな選択肢から何かを選んでいかなければいけないのが人生なの。みんながテオに忠告したり、笑ったりするけど、でも最終的に決めるのはあなたよ。自分の人生の責任は自分でしか取れないのだから」  テオは水やりを続けることに決めました。テオは実のことを気にしなくなったし、金貨五枚も意識しなくなりました。森に行って、いろんなことを調べることが、テオにとって楽しかったのです。花が咲かなくても、実にならなくても、幸福の芽が枯れるまでは続けたい、と心から思ったのです。  夏も本番になり、気温もグーンと高くなりました。  暑くて森に通うのが大変なとき、テオはある植物を発見しました。  それは、葉っぱが冷たい植物です。たまたまこの植物を触ったとき、この植物が冷たいことを知りました。それからテオは、この植物の葉を取り、それを体に貼り、熱中症対策として使いました。  幸福の芽は伸びて腰ほどになっていました。そして驚くことに、茎の先に見るからに柔らかそうな花の(つぼみ)が付いたのです。(つぼみ)の境目からは、その日の空と同じような快晴の青色が覗いてました。  テオは飛び上がって喜びました。何回も何回も飛び上がりました。  その(つぼみ)はすぐに花が開きました。テオはちょうど花開くときを観察することができました。(つぼみ)はサナギがふ化して蝶になり羽を広げるように、ゆっくりと花を咲かせました。花びらはハートの形をしていてました。旅人が話したように、青くてハートの花びらでした。  幸福の花はたちまち街の噂になりました。そして、それは領主の耳にも届きました。  すると領主がテオの幸福の花を見に来たのです。  この時代、こんなことは滅多にないことでした。領主は特権階級の頂点に立つ人物。そんな領主が一般の人に会いに行くことはありません。でも幸福の花が咲いたことで、領主がテオに会いに来たのです。    テオは領主の馬車に乗り、幸福の花が咲いている森に行きました。テオは緊張で体が固まってしまいました。  馬車が着くと、領主は馬車から降り幸福の花を見ました。  「これが幸福の花なのか?」と領主はテオに訊いた。  「は、はい。そ、そうです」。  「綺麗な青い花だ。いままで見たことない花だ。良く育てたな、テオ」  領主はテオを褒めました。  「他の者たちは枯れたと聞く。テオはどうやって育てた?」  テオは緊張で上手く話せないので、自分が記録した手帳を渡し見せた。  領主はしばらくテオの手帳を読んだ。  「よく観察したな」と領主は言い、手帳をテオに返した。  領主を付き人に何か伝えた。そしてテオにあることを提案した。  「幸福の実が実り、それを私にくれるなら、金貨五枚はもちろんだが、褒美として博士の職をお前にやろう」。領主がそう言うと、領主の付き人からテオに、新しい手帳と鉛筆がプレゼントされました。「テオ、これを使い、これからも観察するといい」と領主は付け加えました。  身分の差が激しい時代、生まれたときから、就ける職業というのは決まっていた。  領主の子は領主になり、博士の子は博士になる。一般の子は、主に力仕事に就くのが決まっていました。一般の子が、身分を越えた職に就くことは不可能なこと。しかし幸福の実が、それすらも可能にしてしまったのです。  テオは夢でも見ているような感覚でした。自分が軽くなりフワフワ浮いているようでした。  テオは体が小さく力が弱かったため、このまま成長が止まると仕事ができないと悩んでいました。でも博士の職に就くことが出来たら、力なんて関係ありません。体が大きくなくても出来る仕事です。しかも、テオが好きでやっている観察が仕事になるのです。  街の中では、テオが博士になれる、と噂が広がりました。    「テオ、すごいな」  「快挙だな」  テオを褒める人が少なからず出てきました。  でも褒める人より、(ねた)む人が多くいました。特に子供たちは。  「まぐれのくせに」  「どうせ実にならず枯れるよ」  と(けな)す子。  「テオ様じゃないですか?」  「一般人と会話していいんですか?」  と冷やかす子。  テオはますます一人でいることが多くなり。その分、もっと多くの時間を観察の時間に当てました。実を実らせ、博士になって、街のみんなを見返してやる。そんな気持ちがテオには芽生えました。 【光が当たれば、そりゃ影もできますよ。】  しかしテオの希望は、このあとすぐに砕かれたのです。  普通の花は、花びらが一枚一枚散っていくのですが、幸福の花は違っていた。幸福の花は、花ごとポトリと落ちたのです。  テオは一瞬焦りましたが、すぐに気を取り直しました。テオは幸福の花の他にも、花ごとポトリと落ちる花を知っていたからです。  でも幸福の花は、花が落ちただけではありませんでした。次第に茎が弱っていき、段々とヘナヘナに(しお)れていきました。そして最後には地面に倒れてしまったのです。  テオは何度も何度も起こそうとしましたが、残念ながら茎は地面から起き上がることはありませんでした。  枯れてしまった、とテオは悟りました。  枯れ理由は分かりませんでした。いつものように水をあげていたのに枯れてしまいました。そもそも実にならない植物だったのでは?旅人に騙されていた?  金貨も、博士も、みんなを見返すことも、すべてを失ってしまったのです。  悔しかった。悲しかった。情けなかった。テオは一日家に(こも)り、泣いていました。  夜、テオの前にテオのお母さんが静かに座りました。そして、いつものようにテオを優しく抱きしめたのです。  「悲しいときは泣きなさい」とテオのお母さんは言いました。テオはお母さんの胸の中でしばらく泣きました。「枯れちゃった。枯れちゃった」と言いながら泣きました。  泣き疲れ、泣き止むまでテオのお母さんは何も言わず、ただテオを抱きしめました。  「ママ、ごめんね。金貨貰えなくなってしまって」  泣き止んだテオは、テオのお母さんに謝りました。  「バカね、金貨なんてどうでもいいのよ」  テオのお母さんは微笑みました。そしてテオのお母さんは話を続けました。    「ママも昔、辛くて泣いていたことがあるの。それはあなたのパパが亡くなったときよ。テオは産まれてばかりで、何も覚えてないと思うけど、ママは毎日泣いてたの。毎日、後悔ばかりしての。ずっと辛い日が続いたわ。でもある日、あなたを抱っこしているとき、あなたが笑ったの。ママはその笑顔に救われたわ」    テオのお母さんは、テオの頬にある涙を自分の指で(ぬぐ)ってあげた。    「ママはパパのことばかり考えていて、あなたのことが見えていなかったの。きっとテオは毎日に私に笑いかけていたはずなのに、それに気づきもしなかったの。あなたの笑顔を見たとき、ママは幸せを感じたの。そして、こう思ったの。これからは辛いことに(とら)われず、幸せに生きていこうって。泣いて過ごす一日も、笑って過ごす一日も、同じ一日なのだから」  テオのお母さんは、テオの頬っぺたを(つま)み、持ち上げた。そして、テオの顔を無理やり笑顔にしました。  「金貨なんて必要ないわ。あなたの笑顔がママを一番幸せにしてくれるのよ」  次の日、テオはなるべく笑顔でいるように心掛けました。そしてもう一度、幸福の芽があった森に行った。やはり茎はヘナヘナと倒れていました。  テオは根から掘り起こしました。そして、それを家に持って帰り植えたのでした。これは植え替えたわけではなく、お墓を作りたかったのです。いままで大切に育てていたので愛着が湧いていたからです。どうしてもそのまま放っておくこともできず、自分いる近くにお墓を作ってあげたかったのです。  幸福の芽が枯れたことは、街のみんなに知れ渡りました。  「実なんてならないと、私は初めから分かっていた」  「旅人の話なんて、真に受けるから」  テオは多くの人から陰口を言われました。  テオはそんな陰口を気にすることはありませんでした。今までと同じく森に行き、動植物の観察をしました。手帳もまだあるし、なによりテオにとって楽しい行為だったので。  森ばかり行くテオに、また街のみんなは陰口を言いました。  「博士になれないのに、まだやってる」  「そんなことしても意味ないのに」  でも何を言われようと、テオは周りの声なんて気にならなくなっていました。  テオは今日、森に行く予定になっていました。    テオが玄関を出ると、テオのお母さんもテオを見送るために一緒に庭に出ました。テオのお母さんはテオを抱きしめ、「今日も一日、楽しんできなさい」と言ってテオを送り出した。  テオは、「うん、行ってくる」と言って、歩いていきました。    テオのお母さんは、そのまま庭の花壇に水をやり出しました。バケツに汲んだ水を柄杓(ひしゃく)を使い、鼻歌を歌いながら楽しそうに水を与えていました。  テオが今日もたくさんの知識を手帳に書きました。手帳に文字が増えるたび、テオは嬉しくなりました。  森から帰ってくると、テオの元にテオお母さんが駆けつけてきました。  「テオ、こっちに来て」  テオのお母さんは、テオの手を引っ張った。テオを連れて行った場所は、テオが幸福の芽を埋めたお墓の場所でした。  なんとその場所から、茎が(つた)のように伸び、その先には親指ほどの物体がありました。黄緑色でハートの形をしていました。    「ねぇ、これテオが育てていた幸福も芽でしょ?」とテオのお母さんは訊きました。  テオはその植物をしっかりと観察しました。葉っぱもハートの形をしている。テオは驚きました。    「どうして?なんで育っているの?ママ、何したの?」とテオは訊きました。  「ママは何もしてないわよ」    「だって僕が植えたときは枯れていたんだよ。しかも実みたいなものも付いてるし。それに何でこんな街中で育つの?空気がいい所じゃなきゃ育たないんだよ」  「そんなのママに訊かないでよ。ママだって知らないんだから」  テオとテオのお母さんはしばらく話し込みましたが、理由は分かりませんでした。でも、この庭で、このまま育てていくことを決めたのでした。  実のことはみんなに秘密にし、もし実が成長してくれたら、そのときに領主に伝えようと、テオは決めました。 【空気がいい(雰囲気いい)って、めっちゃ大切】  夏の暑さも和らぎ、段々と森の中も紅葉が始まりました。  テオの日課は庭の水やりから始まります。今までテオのお母さんがやっていた水やりが、幸福の芽が育ったことで、テオの役割になりました。テオはテオのお母さんと同じように鼻歌を歌いながら水をやりました。お母さんのやり方が伝染したようです。  水やりを終えると、幸福の実の成長を手帳に記憶を付けました。この頃になると、幸福の実は大きくなっていました。握りこぶし大までに成長してました。でも黄緑色の実は、未だに硬いままで未熟な状態でした。  テオは庭の水やりを終えると、いつも森に出掛けます。    毎日、毎日、森に出掛けていると、街のみんなの反応も変わってきました。毎日、森に通うテオの姿に呆れ、もう陰口を言う人はほとんどいません。それどころか、テオの話を聞く人さえ現れました。テオは森の植物にかなり詳しくなっていたのです。その植物の知識を教えてもらい人も結構いたのです。テオの家の庭にも、森で見つけてきた植物をいくつか植えて育てていました。  そんなある日、テオの街に嵐が到来しました。    嵐は神様の怒りだと信じられていて、そんな日に家の外に出ていると、神様から八つ当たりされると言われてました。だから街のお店は全部閉まっていたし、人っ子一人、外には出ていませんでした。  でもこんな日に限って、不運は起こるものです。  テオのお母さんが高熱を出して、寝込んでしましました。ゼーゼーっと、息も荒く、苦しそうにしていました。嵐で医者も呼べなかったし、それ以前に医者を呼べるお金も、テオの家にはありませんでした。  夜になっても、テオのお母さんの熱も下がらなかったし、嵐も去ってくれてませんでした。もともとテオの家は貧しく、その日暮らしの生活をしていたので、食べ物の貯蓄もありません。  テオのお母さんが口にしていたのは水だけです。もう意識すら薄らいでいました。テオの呼びかけにも、返事が返ってこなくなったのです。  「お母さん、お母さん」  「ゼー、ゼー」  そんなとき、テオは庭で育てている幸福の実のことを思い出しました。嵐が来る前までは、まだ硬かったけど、もう食べられそうなものは、それぐらいしか思いつきませんでした。  玄関を出る前、テオは神様に祈ります。八つ当たりは受け入れます。でも幸福の実が熟していますようにと。    玄関から外に出ると、雨が横に降るほどの風が吹いてました。テオは一歩外に踏み出すと、空中に飛ばされてしまいそうになりました。  テオは四つん這いになり、飛ばされないように庭に行きました。幸福の実は無事にそこにありました。嵐で飛ばされてません。テオが触れると、指が微かに沈み込みました。幸福の実が熟されていたのです。  テオは幸福の実をもぎ取りました。そして他にも、テオが森で見つけていた植物の葉を何枚か取り、また四つん這いで家に戻りました。幸福の実は、薄い黄色に変わっていました。    テオは急いで皮を()きました。中から乳白色の果実が出てきました。瑞々(みずみず)しく、果汁が垂れるほどです。  テオは一口サイズに切り分けました。そして一口だけ毒味をしました。口の中に入れた果実は、たちまち溶け、甘い果汁が口の中に広がりました。美味しくて全身に鳥肌が立つほどでいた。  そしてテオは、先ほど庭から取ってきた葉をすり潰しました。  この葉は、夏に熱中症対策に使っていた例の冷たい葉です。テオはこの葉が、テオのお母さんの熱を冷ますのに有効なんじゃないか?と思ったのです。  テオはすぐに、テオのお母さんの額に、先ほど潰し冷たくなった葉を貼りました。それから、幸福の実を食べさせました。ゆっくりゆっくり、一口ずつお母さんの口に運びました。噛まなくても溶けていく幸福の実は、今のテオのお母さんの状態にぴったりでした。  全ての幸福の実を食べさせたテオは、徹夜でテオのお母さんの看病をしたのです。  「もう金貨はいりません。博士になれなくてもいい。体が小さくても、力が無くても、文句も言いません。だけどママを元気にして下さい」  テオは何度も何度も神様に祈りながら看病しました。  次の日の早朝、看病していたテオは、いつの間にか寝てしまっていました。テオのお母さんの寝ているベッドの脇で、座りながら寝てしまいました。  テオは髪を撫でられている感覚で目が覚めます。テオのお母さんが上体を起こして、テオの頭を撫でていました。  「ママ」  テオは、テオのお母さんを見るなり抱きつきました。  「ずっと看病してくれたの?」  テオのお母さんの問いに、テオは抱きついたまま頷きました。    「ありがとう。テオのおかげで元気になれたよ。テオ、幸福の実、ママに食べさせてくれたんでしょ?熱があって(うつ)ろだったけど、すごく美味しかったから覚えてるよ。でも、ごめんね」  テオのお母さんは悲しそうな声で言いました。  テオは顔を上げ、テオのお母さんの顔を見ました。お母さんは泣いていました。  「ママ、何で泣くの?」とテオは訊きました。  「だって、幸福の実さえあれば、テオは博士になれたのに。博士になるために大切に育てたんだろ?それなのにママが食べっちゃって、ごめんね」  「ママ、僕は嬉しんだよ。僕が育てた幸福の実が、ママのためになったんだから。だから謝らないで」  テオのお母さんはテオを抱きしめました。いつものように。  テオは抱きしめられて気づきました。いつもは気づけなかったけど、僕は十分に幸せ者なんだと。   【コスパ最高。愛する人の幸せを願う幸せって】  しばらく抱きしめられていたテオが何かを思い出し、唐突にテオのお母さんに問いかけました。  「そういえば、幸福の実に種が無かったんだよ。変じゃない?」  「それは変だね」  「種が無きゃ、幸福の芽はどうやって芽生えるの?」  「じゃあ、神様が幸福の種を植えてるのかもね?」 【私はあなたのすぐ近くにも、幸福の種、植えましたよ】
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