夕陽のなかのプラネタリウム

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「待て、キツネッ! いくらシッポがフサフサだからって、そんなにフサフサじゃあ、重たくって仕方がないだろう。終いにゃあ、ズルズルと重りのように引きずって、お荷物になるのがオチさっ! この勝負、ぼくの勝ちだな?  ——いやいや! イヌくんよ。君のシッポは、ずいぶんとクルンとなっているなあ? そんなにクルンクルンとなっていちゃあ、バランスが悪いんじゃないのかい? いずれ、キミのフワフワのカラダに巻き付かせて、コロンと転げていかないでくれたまえよ!」  右手のキツネと左手のイヌが、どっちが早いのか競争するというストーリを人形劇の役者のように、はつらつと語りながら演じている。  コミカルな語り口調に、絶妙なテンポでギャグをおりまぜながら、キツネとイヌはベンチの中を縦横無尽に駆け回る。  楽しそうに影を動かしていく、ホオヅキ。  もう、男の子は泣いていない。  目をきらきらと輝かせて、影絵を見つめている。  ホオヅキってば、すごいじゃん!  やがて、影絵は「おしまい!」とホオヅキがコールし、終演となった。  すると、影絵のキツネが男の子に向かって、言った。 「やあ! 最後までいい子で見てくれて、ありがとう。君の名前は?」 「れん!」 「れんくん。今日は、ぼくたち、仲良くなれたかな?」 「うん!」 「よかった。もう涙は、バイバイしたよね」 「うん!」 「じゃあ、れんくん。いっしょに、お母さんを——」  そのとき、公園の外から、「れん!」という声がした。  れんくんが「おかあさあんっ」と、一生けんめいに走っていく。  お母さんは、れんくんを抱き上げ、ぎゅうと抱き締めた。  れんくんのことを、ずっと探してたんだろうな。  息が、上がっているんだもん。  れんくんを抱いたお母さんが、私の方へと駆け寄って来る。 「あの子どもを見ていてくださってましたよね。本当に、ありがとうございました! ちょっと目を離しているうちに、はぐれてしまって……」  お母さんは目に涙を浮かべながら、ふかぶかと頭を下げた。  私はあわてて、両手をふって、言った。 「そんな! 私たちはただ遊んでいただけですので、お気になさらないでください」 「〝私たち〟……? 他にも、遊んでいただいてた方がいたんですね」 「あっ、ええと、はい……。よ、用事があって、今はいないんですけど……」  私は、何もしてない。  ほとんど、ホオヅキがれんくんをあやしてくれていたから。 「何か、お礼を」 「いいんです。れんくんとお母さんが会えたんなら、それで十分なので!」  何度も頭を下げる、お母さん。  すると、れんくんが——。 「影さん、またねー!」  手をキツネのカタチにして、パクパクさせている。  わわっ、と思ったけれど、れんくんのお母さんは気にしていない様子で笑っている。 「では……本当に、ありがとうございました」  そう言ってお母さんはぺこりと頭を下げて、れんくんを連れて、帰って行った。  あれ……その言葉。 「〝ありがとうございました〟って、何だっけ?」  私は、また忘れてしまったみたいだった。  とても大切なものだった気がするのに。  すると、ホオヅキが優しい声で教えてくれる。 「〝ありがとう〟は、誰かに感謝するときに言う言葉です。誰かに助けてもらったとき、優しくしてもらったとき、または自分の気持ちがその人のおかげで救われたとき……」  ああ、やっぱり。  なんて、大切な言葉を忘れてしまったの。  ホオヅキの長い手が、私の頭をなでるように添えられる。  その時、頭のなかで、とある記憶が古い映画のように流れはじめた。  白い壁に、白い床、それに白いベッドがある。  そこは、どこかの病室のようだった。  男の子と女の子が、真っ白のベッドの上で病院食を食べている。  ふと、女の子が男の子にみかんゼリーを差し出した。 『好きなんでしょ? みかんゼリー。あげる!』 『——さん。ありがとうございます……』  名前の部分がよく聞き取れなかった。  でも、この女の子を私は知ってる。  これ、私だ。  小さいころのアルバムの写真で、自分の小さいころのパジャマとか、髪型を見たことがある。  それに、自分の顔だもん。  成長したとはいえ、毎日鏡を見てるしね。  何となく、わかっちゃうんだな。  うーん、あれは何歳くらいだろう。  それにしても、コレは夢、なのかな?  そもそも、何で私、入院してるの?  入院したことなんて、あったかな。  でも、あったとしても、今のわたしでは忘れちゃってる可能性がある。  男の子がまるで宝石をあつかうかのように、みかんゼリーを大切そうに受けとった。 『ここでいっしょに——くんと食べるご飯……とってもおいしいよ』  男の子は泣いている。  そして、涙をぬぐって、笑顔を見せた。 『——さん……』  その後は、よく分からない。  目の前に、もやがかかったように二人のようすがよく見えなくなってしまった。  〝ありがとう〟。  男の子が、そう言ってたな。 「ありがとう、か……」 「エポさん。その言葉、思い出したんですか?」  ホオヅキがホッと安心したように息をついたのを聞いて、我に返った。  本当だ。私、思い出せてる。  ありがとうの、意味。  思いっきり振ったペットボトルの炭酸水が、シュワワアッと吹きだしてくるみたいな、じんわりとした達成感が私の頭のなかで広がっていった。  さっきの夢のおかげだ。あれは、白昼夢か何かだったのかな。  なんだか、不思議な気分。  それにしても——入院、男の子、みかんゼリー、ありがとう。  やっぱり、私はかなり大切な記憶をなくしている気がする。  さっきの白昼夢のおかげで、実感した。  それが何なのかは、まだ全然、思い出せそうもないけれど。  まだ、ボーっとしている私をホオヅキが心配そうに見下ろしている。  私があわててニッコリと顔をあげると、ホオヅキの雰囲気がパアと、明るくなった気がする。  影なのに、相変わらずわかりやすい。 「ホオヅキ、子どもをあやすのうまいね」 「ええ、いつも見ていましたから。ピエロの大道芸や、紙しばい、人形劇をね」  その時また、もやっとした感覚を覚えた。  ピエロの大道芸や、紙しばい、人形劇。  ——何だったっけ。  絶対知ってるのに……ダメだ。思い出せない。  パズルのピースは、あったはず。  ピースをはめるための、溝しか存在していないような、そんな空しさに私は胸をおさえた。 「エポさん。大丈夫、ですか」  ホオヅキが心配そうに、私の顔をのぞきこんでいる。 「大丈夫。私も見てみたかったな。ピエロの大道芸や、紙しばいや、人形劇」 「エポさん」  もう、太陽はほとんど沈んでしまっていた。  薄暗がりで、おぼろげになったホオヅキの姿が闇に溶け始めていた。
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