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「ただいま」
家に帰ると、香ばしく少し甘い匂いがした。
小太郎が待っていましたとばかりに、わたしを迎え入れる。
「今日ね、初めて一人でケーキ焼かせてもらったんだよ」
もう二十二歳なのに、そんな悠長なことでいいのか、と思うが、本人はいたって呑気だ。
小太郎はいそいそとキッチンに何かを取りに行った。
「りょうちゃん、甘いもの苦手って言ってたけど、これなら食べられるかな、と思って、貰って帰ってきた。僕が焼いた第一号。ガトーショコラだよ」
小太郎が誇らしげに、ケーキをダイニングテーブルに置く。こげ茶色のケーキは艶々していておいしそうだった。
小太郎が椅子を引いてくれたので、わたしは黙って座った。
小太郎がわたしの向かい側に座る。そんなにじっと見られていたら食べにくい。
一口分、フォークで切りとり、口に入れる。
ほろ苦いチョコレートの味。でも甘い。
苦くて甘い。
「彼」のはにかんだような笑顔が脳裏に蘇った。違う男のことを思い出しながら食べるなんて、小太郎に失礼だろう。でも止められない。
次々と「彼」の笑顔が浮かんできた。
「おいしい」
そう言って、自分の声が震えていることに気が付いた。
驚いたことに、わたしは泣いていた。泣きながら、ガトーショコラを口に運んでいた。
小太郎は手を伸ばして、わたしの目から涙を掬い取った。
「よかった」
そう言って、小太郎は弾けるような笑顔を見せた。
わたしは男の「笑顔」に弱いのかな。
そんなことを思いながら、ボロボロ泣いた。
「りょうちゃん」
小太郎がわたしを呼んだ。
「ずっと僕のケーキ食べてよ」
小太郎がわたしを見ている。
わたしは耐え切れなかったのだ。やるせなさと孤独を独りで抱えきれなかった。事情を知らない誰かに、愛されて、頭を撫でて欲しかった。
「太っちゃうわ」
そう言ったらまた涙が出たので、ぐちゃぐちゃの顔でわたしは笑った。
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