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「どうかしたの?お姉さん?」
初めて出会った日、パリの片隅の名もない公園のベンチに座ってうなだれていたわたしに、彼は躊躇なく日本語で話しかけてきた。
わたしが顔を上げると、その男は人のよさそうな顔を不安げに曇らせていた。パリで出会っていようが、たとえその男が日本語をしゃべっていなくても、ひと目見て日本人だと分かる男だった。
両手に紙袋を抱えている。どうやら買い物の帰りらしく、そこから野菜や果物、ラップやキッチンペーパーが覗いていた。
歳は二十代前半だろうか。一見、十代くらいに見えるが、日本人が若く見えることを、わたしはよく知っていた。
おかげで、わたしはいつも年上にみられていた。
恐らく彼よりは厳しい人生を送ってきたわたしは、警戒心から、彼を一瞥しただけで目を逸らした。
それでも、少しは気になった。
初対面でわたしが日本人だと思われたことはなかった。
どうして、日本語で話しかけてきたのだろう。
単に彼が日本語しか話せないのかもしれない。だが、彼は旅行者の風でもなかったし、見るからに日本人でも、パリの町に溶け込んでいるように見えた。要は、パリに住んでいると見て取れた。フランス語を少しもしゃべれないとは思えない。
それにしても、一人分にしては大荷物の買い物だ。家族が一緒なのだろうか。
そんな少しの興味が、わたしをベンチから立たせなかった。いつもなら、面倒を避けるために、無言で立ち去るだろう。それでもしつこかったら、少々手荒なことをするかもしれない。
でも、わたしはその時、なぜかうつむいたままだった。言葉が分からない振りはしていたが、そこに留まることを選択してしまった。
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