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「あ」
彼は何かに気が付くと、持っていた袋をベンチにドサッと置いた。
わたしが腰を浮かしかけると、彼はいきなり紙袋の中のキッチンペーパーを取り出し、パッケージを破った。
目が点になっているわたしに安心させるように笑いかけて、ロール状になっていたペーパーを五十センチほど出してちぎった。
「ひじ、擦りむいてる。血も滲んでるよ」
ちぎったペーパーを差し出しながら言うので、思わず肘を見ると、確かに右肘を擦りむいていた。怪我の内にも入らないし、実際、今まで気が付かなかった。
こんなの、怪我したなんて言うのも、おこがましい。
「お姉さん?」
動かないわたしを見て、彼は首を傾げる。
わたしが目線を逸らすと、彼は擦りむいたわたしの右肘をそっと手に取って、キッチンペーパーを押し当てた。
「ちょっ」
ぎょっとして、思わず日本語で罵りそうになり、慌てて「シット」と舌打ちする。
だが彼は落ち着きを払って、傷を優しく拭ってくれた。
振りほどこうと本気で思えば、振りほどけたことに、わたしは後から気付いた。
「だめだよ、お姉さん。擦り傷を舐めてたら、痕になっちゃう。消毒できたらいいんだけど、持ってないしなぁ。取りあえず、傷を洗う?」
相変わらず日本語でしゃべり続ける彼を、わたしは不思議なものでも見るような気持ちで眺めていた。
彼はわたしに日本語が通じている確信があるのだろうか。
彼は傷から顔を上げると、わたしの顔を見て笑った。
「分かるよ。僕、鼻がいいんだ。あなたからは、日本食を食べている人の匂いがするよ」
え?匂い?
少し身を引いたわたしの肘を、彼はまだつかんだままだった。ニコニコ笑顔で、彼は名乗った。
「僕、小太郎っていいます。お姉さんの名前は?」
わたしは観念してしまった。
「りょう」
名前を伝えると、小太郎は破顔した。それまでの笑顔より、さらに眩しい武器を小太郎が持っていることを、わたしは目の当たりにした。
その時も肘を掴まれたままだったことを、後から思い出して、わたしは赤面して身もだえすることになる。
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