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それからカヨは四、五日に一度は部屋でその男を見るようになった。時間帯はいつも夜だったが、現れる状況は様々だった。入浴後ユニットバスから出て来たとき、晩御飯を作っている時にふと振り向いたとき、バイトから帰って来るとすでに部屋の中にいた時もあった。いずれもカヨに背を向けており、少しすると振り向いて例の独特な口調でカヨを叱りつけた。そうしてカヨが彼から目を逸らすと、やがて姿を消すのだった。やはり怖くはなかったし、そのうちカヨは彼に対して親近感すら感じるようになっていた。
やがてその「幽霊らしきもの」は部屋の外でも見えるようになった。ある日カヨがコンビニで働いている時だった。その日は夜の勤務で、客が誰もいない時に一人のサラリーマン風の男性が入って来た。何となく気の弱そうな人だ。そのまま男は店の奥の方に歩いて行った。その時カヨはレジにいて彼の姿をなんとなく目で追ってると、急に女性の声が聞こえた。
「ちょっと!梅のおにぎりないの?」
びっくりしたカヨの前に一人の女性がいた。確かに客は今入って来た男性客一人のはずだった。
「なんでいつも梅のおにぎりだけないのよ?」
四十代くらいの痩せた女性で、結構な剣幕で怒っている。カヨが驚きのあまり言葉を失っていると、
「ねえ、なんでないの?」
女性は詰め寄ってくる。我に返ったカヨは確かそれはまだ棚にあったことを思い出した。
「いや、まだありますよ」
そう言ってカヨはおにぎりのある棚へ急いだ。見ると確かにまだ梅のおにぎりはあった。
「ありますよ!ここに」
そう言って振り向くと女性はもうどこにもいなかった。男性の客がひとり不思議そうにカヨを見つめている。
「また…、出た」
カヨはひとりつぶやいた。突然の事だったのでその女性に実体があるか判断が出来なかったのだ。女性にかなりきつく怒られたのだが、この時も不思議とカヨに恐怖感はなかった。
別の日、カヨは渋谷で買い物をした帰り、新宿駅で電車が来るのを待っていた。一日歩き回って疲れていたカヨがホームに突っ立っていると、突然大きな声で、
「おい!危ないから線の内側に下がって!」
言われたカヨは反射的に数歩下がった。横を見ると年配の駅員が厳しい表情でカヨを睨んでいる。
「すみません」
頭を下げた時に下を見ると、カヨは線の大分内側にいた。元々線を越えてはなかったのだ。おかしいと思って顔を上げるとその駅員はもういなかった。近くで大人しそうな若い駅員が、やはり不思議そうにカヨの事を見ていた。そしてカヨの心に怖さはなかった。
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